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		<title>火葬 - 版の履歴</title>
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		<title>Seishimaru: 1版 をインポートしました</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;1版 をインポートしました&lt;/p&gt;
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				&lt;tr style='vertical-align: top;' lang='ja'&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;← 古い版&lt;/td&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;2018年3月30日 (金) 06:21時点における版&lt;/td&gt;
				&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td colspan='2' style='text-align: center;' lang='ja'&gt;&lt;div class=&quot;mw-diff-empty&quot;&gt;(相違点なし)&lt;/div&gt;
&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/table&gt;</summary>
		<author><name>Seishimaru</name></author>	</entry>

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		<title>2018年3月30日 (金) 06:21に192.168.11.48による</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=かそう／火葬=&lt;br /&gt;
葬法の一つで、遺体を焼き遺った骨を拾って葬ること。他に葬法として、[[土葬]]・水葬・風葬などがある。[[仏教]]では[[火葬]]のことを[[荼毘]]といい、ブッダが[[入滅]]後、[[荼毘]]に付されたことは『大[[般涅槃]]経』などの小乗[[涅槃経]]類に記されている。『大[[般涅槃]]経』によると、[[入滅]]したブッダの遺体は、[[転輪聖王]]に倣って新しい布と綿によって包まれ、香料を含んだ薪によって[[荼毘]]に付された。マッラ族によって薪に点火されようとしたが着かず、[[弟子]]のマハーカッサパが到着し五〇〇人の[[比丘]]とともに[[礼拝]]し終わると、薪にひとりでに着火したという。ヒンドゥー文化では[[火葬]]の際に点火するのは嫡子の役割であることから、この説話は[[仏教]][[教団]]にあってマハーカッサパが喪主であり[[法嗣]]であることを示しているとする説もある。この、ブッダが[[荼毘]]に付されたことが、東アジア、東南アジア、日本の[[仏教]]において、[[火葬]]が[[仏教]]の葬法であるとの位置づけにつながった。日本で最初に[[火葬]]が行われたのは、文献上では、『続日本紀』文武天皇四年（七〇〇）三月の条に、僧道昭の遺体が飛鳥の栗原で[[火葬]]されたとあるのが、そのはじまりとされている。その二年後には持統天皇が[[火葬]]された。そして[[仏教]]文化の浸透や薄葬の思想も関係し、皇族、貴族階級を中心として[[火葬]]の習俗が広まっていったと考えられている。江戸時代後期（文化年間）の民衆の生活様式を知ることのできる『諸国風俗問状答』からは、江戸時代後期には[[土葬]]と[[火葬]]が並列的に展開していた様子が分かる。[[火葬]]、[[土葬]]どちらの葬法が優勢であったのかは地域によってまちまちであったが、[[真宗]]が広く[[信仰]]されている地域では[[火葬]]が優勢である傾向がみられた。また同一地域であっても、階層や家格の違いによって、また疫病死の場合は[[火葬]]にするなど死に方によっても違いがみられることもあった。日本各地域での[[火葬]]は、とくに明治以降に増加していく。[[火葬]]率は、明治二九年（一八九六）には二六・八％であったが、昭和一五年（一九四〇）には五五・七％、同四五年には七九・二％へと増加し、現在ではほぼ百パーセントが[[火葬]]となっている。各地で[[火葬]]が受容された要因は様々であるが、明治三〇年（一八九七）、伝染病予防法により、法定伝染病による死者は[[火葬]]にすることが定められ、衛生的見地から[[火葬]]が全国的に普及することになった。また他の理由としては、地方自治体の法律によって[[土葬]]が禁止されたことや、埋める場所の不足、[[土葬]]の際の人手不足などが挙げられる。[[火葬]]され焼骨となった遺骨を、骨灰までも含めてすべて骨壺に入れて持ち帰る「全体拾骨（収骨とも）」の地域と、のどぼとけや頭骨などの一部のみ持ち帰る「一部拾骨」の地域に分かれ、「全体拾骨」は東日本・北日本が中心であるのに対し、西日本・南日本は「一部拾骨」との傾向がみられる。&lt;br /&gt;
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【参考】林英一『近代火葬の民俗学』（『佛教大学研究叢書』九、佛教大学、二〇一〇）、入澤崇「ブッダはなぜ火葬されたのか」（『龍谷大学論集』四五七、龍谷学会、二〇〇一）、鯖田豊之『火葬の文化』（新潮社、一九九〇）、日本葬送文化学会編『火葬後拾骨の東と西』（日本経済評論社、二〇〇七）&lt;br /&gt;
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【参照項目】➡[[土葬]]&lt;br /&gt;
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【執筆者：名和清隆】&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>192.168.11.48</name></author>	</entry>

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