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		<title>徹選択本願念仏集 - 版の履歴</title>
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		<title>Seishimaru: 1版 をインポートしました</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;1版 をインポートしました&lt;/p&gt;
&lt;table class=&quot;diff diff-contentalign-left&quot; data-mw=&quot;interface&quot;&gt;
				&lt;tr style='vertical-align: top;' lang='ja'&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;← 古い版&lt;/td&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;2018年3月30日 (金) 06:29時点における版&lt;/td&gt;
				&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td colspan='2' style='text-align: center;' lang='ja'&gt;&lt;div class=&quot;mw-diff-empty&quot;&gt;(相違点なし)&lt;/div&gt;
&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/table&gt;</summary>
		<author><name>Seishimaru</name></author>	</entry>

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		<title>2018年3月30日 (金) 06:29に192.168.11.48による</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=てつせんちゃくほんがんねんぶつしゅう／徹選択本願念仏集=&lt;br /&gt;
二巻。『[[徹選択集]]』『徹[[選択]]』ともいう。[[聖光]]撰。[[法然]]『[[選択集]]』の注釈書。同書の真意を徹底せんがために著したもの。[[聖光]]七六歳、入寂前年の撰述とされる。三祖[[良忠]]の『[[徹選択鈔]]』上によれば、『[[徹選択集]]』上下二巻は、下巻が撰述された後に、上巻が加えられたように記されている。しかし『[[徹選択集]]』上下二巻の[[奥書]]の日付は、上巻が「嘉禎三年六月十九日」とあり、下巻が「嘉禎三年六月二十五日」とあるから、日付の記事からいえば、まず上巻が撰述され、後に下巻が撰述されたといえる。ところが[[良忠]]の『[[徹選択鈔]]』上のはじめに、「問う、得名いかん。答う、この集を作りたまいしことは、先師（[[聖光]]）『智度論』に[[菩薩]][[修行]]の相を明すを、今の[[浄土門]]に望るとき、通局の[[念仏]]あるべき[[道理]]を見立てて撰せられるなり。題名に至りては、案じ労いたまいしなり。或は四義集とやいわまし或は徹[[選択]]とやいわまし。ただし予は[[故上人]]の[[遺弟]]・[[選択]]伝授の身なり。徹[[選択]]の題宜しかるべきかと。彼の集、[[念仏]]の義を宣べ徹する意なりと。然ども[[選択]]の意を一分ものべられず然る問題と文と相違せり。私に申していわく、本集の大意を釈しそえられて候はば、題に違せざるよろしかるべきに候いなん。これによって上巻に一六篇の意を述べられたるなり」（[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J07_0112 浄全七・一一二上]）とあることによっても明らかなように、[[聖光]]の『[[徹選択集]]』は下巻に撰述の目的があったとみられる。『[[徹選択集]]』の上巻はまさに『[[選択集]]』一六章の註釈であるが、下巻はそうではない。また[[良忠]]は『[[徹選択集]]』を「四義集」（実際は七義）というべきことを[[聖光]]に進言している。[[聖光]]は下巻の終わりに「まさに今、広く経論を&amp;lt;ruby&amp;gt;勘&amp;lt;rt&amp;gt;かんが&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;うるに、一切[[衆生]]、[[念仏往生]]するに種種の故あり」（聖典三・三一七）といい、「一つには[[菩薩]]の願故に。二には[[菩薩]]の&amp;lt;ruby&amp;gt;巧[[方便]]&amp;lt;rt&amp;gt;ぎょうほうべん&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の故に。三には[[菩薩]]の[[浄仏国土成就衆生]]の故に。四には仏智の故に。五には法不思議の故に。六には&amp;lt;ruby&amp;gt;[[摩訶衍]]&amp;lt;rt&amp;gt;まかえん&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の法の故に。七には[[譬喩]]の故なり」（同三一七～八）といっている。[[良忠]]が「四義集」といったのは、前半の四義のことで、後半の三義は下巻撰述のときに加えられたと考えられる。『[[徹選択集]]』上は、『[[選択集]]』の篇目にそって註釈がほどこされているが、よくみると全篇にわたって等分に註釈がほどこされているわけではない。比較的多く註釈されているのは第一章（[[聖道]][[浄土]]二門篇）、第三章（[[念仏本願]]篇）、第一二章（[[付属]][[仏名]]篇）、第一六章（[[弥陀]][[名号]][[付属]]篇）の四篇である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[良忠]]は『[[徹選択鈔]]』上において、「問う、徹の字の意いかん。答う、『[[選択集]]』の[[念仏]]は正しく[[本願]][[称名]]の一行に局り、『智度論』の[[念仏]]は広く[[三福]][[六度]]の行に通ず。しかるに本集の[[念仏]]は未だ通の[[念仏]]の相を釈せず。故に別より通に徹するなり。故に『[[徹選択集]]』という」（[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J07_0112 浄全七・一一二上]）と述べ、『[[徹選択集]]』という題を釈している。&lt;br /&gt;
『[[徹選択集]]』はまず「[[選択本願念仏集]]・[[南無阿弥陀仏]]・[[往生之業念仏為先]]」という題号と巻頭の一四文字のもとに、三つの[[念仏]]（三義）があるとする。すなわち、第一諸師所立の[[口称]][[念仏]]、第二[[善導]]所立の[[本願]][[念仏]]、第三然師所立の[[選択]][[念仏]]のことで、[[念仏]]の教えが確立されていく過程を三つに分けて[[解釈]]している。こうした『[[選択集]]』題下の三義の内容をうけて、[[聖光]]は「問う、[[上人]]（[[法然]]）の[[選択]]とはこれ何なる義ぞや。答う、[[善導]][[和尚]]の意、[[念仏]]とは[[本願]][[往生]]の[[念仏]]なり。[[弥陀]][[四十八願]]の中には、第十八願これなり。この[[本願]]の義の上に、また[[法然]][[上人]]、[[浄土]]三部の諸本を&amp;lt;ruby&amp;gt;検&amp;lt;rt&amp;gt;くら&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;べ同本異訳の諸文を挍べて、今、[[法蔵菩薩]][[選択]]の義を勘出したまうなり」（聖典三・二六五）という。そして[[聖光]]自らの考えを展開させる。それは[[選択本願念仏]]の義を、[[法然]]↔[[龍樹]]↔[[法蔵菩薩]]↔先仏と順逆それぞれの論理的展開を示すことで明らかにしている。また[[聖光]]は、[[選択]]の義（思想）を『[[選択集]]』第一六章（[[弥陀]][[名号]][[付属]]篇）を註釈するところで二二種の[[選択]]として展開させている。それは『[[選択集]]』に説かれる[[八種選択]]をもとに、二二種の[[選択]]を展開したものである。これは[[聖光]]のいうところの聖浄兼学の立場に立って、通[[仏教]]思想の理念でもって、[[選択本願念仏]]の真実性を強調し、[[念仏]]の教えの普遍性を表明したものといえる。「先師[[上人]]の『[[選択集]]』を以て指南とし、また&amp;lt;ruby&amp;gt;依憑&amp;lt;rt&amp;gt;えひょう&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;に仰ぎ無間に[[精進]]して、懈怠無く疎略無く[[口称]]の[[念仏]]を行じて&amp;lt;ruby&amp;gt;慥&amp;lt;rt&amp;gt;たし&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;かに以て[[極楽]]に[[往生]]すべし。これすなわち、[[末法]]の迷者を哀れむなり」（聖典三・二八八）といって、『[[徹選択集]]』上は終わっている。&lt;br /&gt;
『[[徹選択集]]』下は、まず[[念仏三昧]]の義（思想）について論及する。「問うて曰く、[[念仏三昧]]とは何の義ぞや。答えて曰く、[[念仏三昧]]とはこれ不離仏の義なり。問うて曰く、不離仏とは何の義ぞや。答えて曰く、不離仏とは値遇仏の義なり。問うて曰く、値遇仏とは何の義ぞや。答えて曰く、値遇仏とは因地下位の[[菩薩]]は、必ず果地上位の[[如来]]に値遇して[[刹那]]片時も仏を遠離すべからざること、譬えば嬰児の母を離れざるがごとし」（聖典三・二九一）と、[[龍樹]]の『智度論』における[[菩薩]]思想にもとづいて論じている。さらに[[聖光]]は「今、かくのごとき等の[[問答]]は偏に、これ[[菩薩]][[浄仏国土成就衆生]]の義なり。いまだ[[念仏]]の義を顕さざるは、如何。答えて曰く、今、この造書の[[意趣]]、[[浄仏国土成就衆生]]の義を[[問答]]することは[[念仏三昧]]の至極甚深の義を顕さんが為なり。所以は何となれば、[[菩薩]]、仏に遇わずんば浄[[仏国土]]の行を知らず。[[菩薩]]、常に仏に値うが故に能く浄[[仏国土]]の行を知る。仏を離れざるが故に仏を忘れざるなり。仏に値遇するが故に常に仏を念ずるなり。この故に[[菩薩]]の浄[[仏国土]]の行を以て甚深の[[念仏三昧]]と名づけるなり」（聖典三・三〇一）といっている。そして[[聖光]]は、不離仏（不忘仏）・値遇仏（[[常念仏]]）の二義をもって[[念仏三昧]]を定義づけるが、さらに[[念仏]]に総別二種のあることを明かす。これを開図すると、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　┌総・広—普遍論—開&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[念仏]]┤　→万法＝理→真[[如一]]理&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　└別・略—特殊論—合&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　→一法＝事→[[般若]]仏智&lt;br /&gt;
となる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最後に『[[徹選択集]]』の結論ともいうべき内容が、下巻の終わりに上述した七義によって示されている。このように、[[念仏三昧]]を[[不離仏・値遇仏]]と定義して、[[浄仏国土成就衆生]]の通[[仏教]]的理念でもって、[[念仏]]の教えの普遍性とその深勝性を求めたのが『[[徹選択集]]』下の内容といえよう。&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【所収】聖典三、浄全七&lt;br /&gt;
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【参考】髙橋弘次「徹選択本願念仏集」解題、「徹選択集の思想」「聖浄兼学の精神」（『続法然浄土教の諸問題』山喜房仏書林、二〇〇五）&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【参照項目】➡[[二十二選択]]、[[八種選択]]&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【執筆者：髙橋弘次】&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>192.168.11.48</name></author>	</entry>

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