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		<title>廃助傍の三義 - 版の履歴</title>
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		<title>Seishimaru: 1版 をインポートしました</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;1版 をインポートしました&lt;/p&gt;
&lt;table class=&quot;diff diff-contentalign-left&quot; data-mw=&quot;interface&quot;&gt;
				&lt;tr style='vertical-align: top;' lang='ja'&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;← 古い版&lt;/td&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;2018年3月30日 (金) 06:31時点における版&lt;/td&gt;
				&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td colspan='2' style='text-align: center;' lang='ja'&gt;&lt;div class=&quot;mw-diff-empty&quot;&gt;(相違点なし)&lt;/div&gt;
&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/table&gt;</summary>
		<author><name>Seishimaru</name></author>	</entry>

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		<title>2018年3月30日 (金) 06:31に192.168.11.48による</title>
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				<updated>2018-03-30T06:31:46Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=はいじょぼうのさんぎ／廃助傍の三義=&lt;br /&gt;
[[法然]]の[[専修念仏]]の教えにおいて、[[諸行]]の位置づけを示す三つのあり方のこと。具体的には&amp;lt;ruby&amp;gt;[[廃立]]&amp;lt;rt&amp;gt;はいりゅう&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;・&amp;lt;ruby&amp;gt;[[助正]]&amp;lt;rt&amp;gt;じょしょう&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;・&amp;lt;ruby&amp;gt;[[傍正]]&amp;lt;rt&amp;gt;ぼうしょう&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;の三種であることから、「[[廃助傍の三義]]」と呼ばれる。[[法然]]は、[[阿弥陀仏]]等が[[往生行]]としては[[念仏]]のみを選び勧めているので、その通りに修すべしとして[[専修念仏]]の教えをたてたが、なぜ[[念仏]]のみといえるのか、その教証を示すのが『[[選択集]]』であり、[[弥陀]]・[[釈迦]]・諸仏が[[念仏]]のみを&amp;lt;ruby&amp;gt;[[選択]]&amp;lt;rt&amp;gt;せんちゃく&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;している経文を各章に一つずつ提示した（ただし第一・二・八・九章は除く）。しかし『同』四において提示される『[[無量寿経]]』[[三輩]]段には、[[念仏]]以外の行も多く列挙されており、なぜこれが[[念仏]]一行[[選択]]の根拠となるのかという、さらなる疑問が生じることとなる。それに対し[[法然]]は、上中下の[[三輩]]が共に余行を説き示しながらも「[[一向]][[専念]][[無量寿仏]]」等と述べており、[[一向]]とは他の行を兼ねないことであるから、[[本願]]との整合性を考えるなら、「[[三輩]]段」も[[念仏]]のみを勧めていることになるとする。ただ、それではなぜわざわざ[[諸行]]が説かれるのか、という疑問に対しては、①廃せられるべき[[諸行]]にはどのような行があるかを示すため、②[[念仏]]を&amp;lt;ruby&amp;gt;助成&amp;lt;rt&amp;gt;じょじょう&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;するものとしての[[諸行]]を示すため、③[[念仏]]と[[諸行]]のそれぞれに三品があることを示すため、という三つの理由を述べる（『[[選択集]]』四、聖典三・一二五～八／昭法全三二二～四）。そして引き続き[[法然]]はこの三者を、[[専修念仏]]の教えにおける[[諸行]]の位置づけを示すものとして再[[解釈]]してゆく。『[[選択集]]』に先立つ『[[無量寿経釈]]』（昭法全九〇～一）ではこの三者を&amp;lt;ruby&amp;gt;但念&amp;lt;rt&amp;gt;たんねん&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;・助念・&amp;lt;ruby&amp;gt;但[[諸行]]&amp;lt;rt&amp;gt;たんしょぎょう&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;と見なし、[[専修念仏]]の立場からすると、最終的には後二者は否定されると述べていたが、『[[選択集]]』では三者を[[廃立]]・[[助正]]・[[傍正]]と捉え直す。このうち[[廃立]]義とは[[念仏]]のみを「立」て、[[諸行]]を「廃」するあり方である。ただし、この[[廃立]]義を「正と為す」と位置づけつつも、『[[選択集]]』では三義とも「[[一向]][[念仏]]のため」と述べて、後二者も[[専修念仏]]に抵触しないあり方として承認する。まず、[[助正]]義は「正」なる[[念仏]]を[[諸行]]が[[助業]]として「助」けるというあり方である。『[[無量寿経釈]]』においては、[[助業]]は[[念仏]]を補う意味での[[助業]]とされていたため否定された。しかし『[[選択集]]』では[[助業]]を、[[念仏]]の不足を補う行ではなく、[[念仏]]を増進し[[専修念仏]]に至らしめるための行として捉え直すことにより、[[助正]]義も[[専修念仏]]と矛盾しないあり方として承認されるに至ったと考えられる。一方、[[傍正]]義は[[念仏]]を「正」、[[諸行]]を「&amp;lt;ruby&amp;gt;傍&amp;lt;rt&amp;gt;かたわ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;」らとするあり方であるが、詳しい説明がなく実内容は不明である。[[良忠]]『[[決疑鈔]]』（[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J07_0251 浄全七・二五一上]）では、[[念仏]]・[[諸行]]ともに仏が[[衆生]]の[[機根]]に従って説いた行であるので、経の正意である[[念仏]]を正、そうでない[[諸行]]を傍としつつも、[[諸行]]も消極的ながら認めるあり方と[[解釈]]しているようである。また、[[良忠]]はそれに続いて、三義の他に[[口伝]]として第四の義というものがあると述べる。即ち[[三輩]]段の「[[一向]]」の語は余行にも付加し得るとして、「[[一向]]に[[諸行]]」というあり方も肯定的に承認している。[[聖冏]]『&amp;lt;ruby&amp;gt;[[直牒]]&amp;lt;rt&amp;gt;じきてつ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;』（[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J07_0549 浄全七・五四九下]）でも、同様のことが言及されている。なお、西山派&amp;lt;ruby&amp;gt;[[西谷義]]&amp;lt;rt&amp;gt;せいこくぎ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;では[[廃助傍の三義]]を、[[廃立]]・[[傍正]]・[[助正]]の順に並べ替え、段階的な概念として独自の[[解釈]]を行う。まず[[廃立]]は行門の立場とし、[[念仏]]・[[諸行]]の間だけでなく、[[聖道]]・[[浄土]]、[[自力・他力]]等にも適応されるとする。次に[[傍正]]とは廃した諸法・[[諸行]]を「傍」たる定散の[[観門]]として取り返し、「正」たる[[念仏]]を顕し出すものとする。そして[[助正]]とは[[信心]]決定後、[[仏恩報謝]]のために修する定散諸善を[[助業]]と位置づけて修してゆくあり方とみる。&lt;br /&gt;
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【参考】香月乗光「一向専修の実践的構造—『廃助傍三義』についての考察—」（同『法然浄土教の思想と歴史』山喜房仏書林、一九七四）、安達俊英「法然上人における選択思想と助業観の展開」（『浄土宗学研究』一七、一九九一）、杉紫朗『西鎮教義概論』（百華苑、一九八八）&lt;br /&gt;
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【参照項目】➡[[廃立]]、[[正定業・助業]]&lt;br /&gt;
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【執筆者：安達俊英】&lt;/div&gt;</summary>
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