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		<title>実存 - 版の履歴</title>
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		<title>Seishimaru: 1版 をインポートしました</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;1版 をインポートしました&lt;/p&gt;
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				&lt;tr style='vertical-align: top;' lang='ja'&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;← 古い版&lt;/td&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;2018年3月30日 (金) 06:26時点における版&lt;/td&gt;
				&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td colspan='2' style='text-align: center;' lang='ja'&gt;&lt;div class=&quot;mw-diff-empty&quot;&gt;(相違点なし)&lt;/div&gt;
&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/table&gt;</summary>
		<author><name>Seishimaru</name></author>	</entry>

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		<title>2018年3月30日 (金) 06:26に192.168.11.48による</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=じつぞん／実存=&lt;br /&gt;
現[[実存]]在の意。英語のexistence、ドイツ語のExistenz。語[[源的]]には、ラテン語のex-sistere（外に立つこと）を意味し、もともとヨーロッパ中世のカトリック神学では、本質（essentia）に対して用いられた。人間の問題としての[[実存]]という視点は、[[実存]]主義の父ともいわれるＳ・キェルケゴール（一八一三—一八五五）を創始とする。人間はふつう日常性のなかに埋没して、本来的な自己を見失っているが、自らの有限性や死などに直面して否応なしに自己自身の現実の姿、すなわち自己の真実の姿を自覚させられ、真剣に厳粛に本来的な自己の生き方を追求するように決断を迫られる、この生き方が[[実存]]と表現される。したがって[[実存]]とは、現[[実存]]在の自覚的決断による真[[実存]]在の意味であることになる。[[実存]]を規定するにあたって、神とのかかわりを持つ有神論的[[実存]]主義と神の存在を認めない[[無神論]]的[[実存]]主義の二つの大きな傾向があるが、「[[実存]]が本質に先立つ」（サルトル）として人間の主体性を強調するゆえに「主体性が真理である」（キェルケゴール）という点で、すべての[[実存]]主義は一致している。これらはいずれも人間が現実に存在するということを鋭く捉え、とくに二〇世紀の高度に[[科学]]技術の進歩した時代における人間性喪失・人間疎外に関する批判や反省の態度である。[[仏教]]は、人間存在を生・老・病・死する有限存在として凝視し、苦からの[[解脱]]（超越）を説き、本来的な真実の生き方（[[悟り]]）を教え諭す点において、まさしく[[実存]]的実践思想であるといえる。しかし、西欧思想における[[実存]]主義が説く主体性は、デ[[カルト]]がいうように「我思う、ゆえに我あり」という自我の自覚という性格を有しているが、それに対して[[仏教]]では、「[[無我]]すなわち一切は[[縁起]]によって生じる」という「空」の思想が特徴である。この点において、西欧の[[実存]]主義と[[仏教]]が特徴とする[[実存]]的思想とには大きな相違があることを指摘しなければならない。[[浄土教]]においても、人間の捉え方の特徴に[[実存]]的思想を指摘することができる。すなわち[[浄土教]]は、[[生死]]の問題の解決を主題とし、人間の現[[実存]]在を深く捉える[[人間観]]を提示する。いわば、死への存在として人間を捉え、その人間の存在を自覚的に[[罪悪生死の凡夫]]とするという人間把握は、まさに否応なしに在る自己自身の現実の姿であるゆえに、極めて具体的な[[実存]]思想が見出されるといえる。[[善導]]が、『[[観経]]』説示の[[三心]]の[[深心]]を[[二種深信]]（[[信機・信法]]）として[[解釈]]する場合、この[[信機・信法]]の生起は、キェルケゴールが強調する[[宗教]]的[[実存]]の成り立ちであり、[[阿弥陀仏]]の[[本願]]の救いの約束という見方をすれば、ハイデッガーが言うように、人間が真実の在り方へと決断するのは存在の歴史としてすでにあらかじめ定められているという考え方に比すことができよう。[[法然]]の場合においても、[[善導]]の[[深心]][[解釈]]（[[二種深信]]）の思考が基軸となっており、その意味で極めて強く[[実存]]的思想の性格が指摘される。しかしながら、[[実存]]の問題が具体的な[[宗教]]の[[信仰]]へと取り組まれていくのでなければ、[[浄土教]]における問題とも重なり合うが、[[実存]]主義はどこまでも思想のレベルにとどまる。具体的に言えば、[[信機・信法]]の生起は[[南無阿弥陀仏]]の[[称名念仏]]の実践において語られるのである。その限りにおいて、[[実存]]という課題のもとで[[浄土教]]の問題を考察すべき意義と意味は多大であるということができる。&lt;br /&gt;
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【参考】藤本淨彦『実存的宗教論の研究』（平楽寺書店、一九八六）&lt;br /&gt;
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【参照項目】➡[[信機・信法]]&lt;br /&gt;
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【執筆者：藤本淨彦】&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>192.168.11.48</name></author>	</entry>

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