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		<title>南無阿弥陀仏 - 版の履歴</title>
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		<title>Seishimaru: 1版 をインポートしました</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;1版 をインポートしました&lt;/p&gt;
&lt;table class=&quot;diff diff-contentalign-left&quot; data-mw=&quot;interface&quot;&gt;
				&lt;tr style='vertical-align: top;' lang='ja'&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;← 古い版&lt;/td&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;2018年3月30日 (金) 06:30時点における版&lt;/td&gt;
				&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td colspan='2' style='text-align: center;' lang='ja'&gt;&lt;div class=&quot;mw-diff-empty&quot;&gt;(相違点なし)&lt;/div&gt;
&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/table&gt;</summary>
		<author><name>Seishimaru</name></author>	</entry>

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		<title>2018年3月30日 (金) 06:30に192.168.11.48による</title>
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				<updated>2018-03-30T06:30:35Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=なむあみだぶつ／南無阿弥陀仏=&lt;br /&gt;
[[阿弥陀仏]]に[[帰依]]するの意。[[六字名号]]、単に[[名号]]ともいう。原語は特定されていないが、Ⓢnamo ’mitābhāya buddhāya、あるいはⓈnamo ’mitāyuṣe buddhāyaなどが想定される（’mitābhāyaや’mitāyuṣeとされて、語頭の「Ａ」が落ちるのは音韻の関係である）。日本における発音としては、[[浄土宗]]では「なむあみだぶ」「なむあみだぶつ」と発声するが、他宗では「なもあみだぶつ」や「なんまいだぶ」「なんまんだ」などと発音されることもある。たとえば[[一遍]]は「とことはに[[南無阿弥陀仏]]ととなふればなもあみだぶにむまれこそすれ」と詠むように「なもあみだぶ」と唱えていたようである。&lt;br /&gt;
==［出典］==&lt;br /&gt;
「[[南無阿弥陀仏]]」の出典は『[[観経]]』である。『[[観経]]』[[下品]][[上生]]に「智者また教えて、[[合掌]]叉手して[[南無阿弥陀仏]]と称せしむ。[[仏名]]を称するが故に、五十億劫[[生死]]の罪を除く」（聖典一・三一一／[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0049 浄全一・四九]）とあり、『同』[[下品]][[下生]]に「汝もし念ずること能わずんば、まさに[[無量寿仏]]を称すべしと。かくのごとく[[至心]]に、声をして絶えざらしめ、[[十念]]を[[具足]]して、[[南無阿弥陀仏]]と称す。[[仏名]]を称するが故に、念念の中において、八十億劫の[[生死]]の罪を除く」（聖典一・三一三／[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J01_0050 浄全一・五〇]）とあるように、『[[観経]]』では声を出して[[南無阿弥陀仏]]を称えることによる[[滅罪]]の[[功徳]]が説かれている。経典ではこの他に、『[[仏名経]]』に確認できる。また類似する表現には『[[大阿弥陀経]]』に「[[南無阿弥陀三耶三仏檀]]」などがある。&lt;br /&gt;
==［語義］==&lt;br /&gt;
[[南無阿弥陀仏]]の意味については、[[善導]]『[[観経疏]]』玄義分において「[[南無阿弥陀仏]]と言うは、またこれ西国の正音なり。また南はこれ帰、無はこれ命、阿はこれ無、弥はこれ量、陀はこれ寿、仏はこれ覚なり。故に[[帰命]][[無量寿]]覚と言う。これすなわち梵漢[[相対]]するに、その義かくのごとし」（聖典二・一六三～四／[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J02_0002 浄全二・二下]）と釈される。これによると[[南無阿弥陀仏]]とは[[サンスクリット語]]を音訳したものであり、意味としては「[[帰命]][[無量寿]]覚」になるという。この理解は、[[南無阿弥陀仏]]の全体の意味としては正当なものである。言語学的に、[[南無阿弥陀仏]]を[[梵語]]namo ’mitāyuṣe buddhāyaの音写と想定した場合、「阿＝無」と「仏＝覚」と理解できる。ただし「[[南無]]namo」を「南」と「無」に分け「南＝帰」「無＝命」とする理解、同様に「[[弥陀]]mitāyuṣe」を「弥」と「陀」に分け、「弥＝量」「陀＝寿」とするのは、[[梵語]]における理解とは異なる。また「阿[[弥陀]]」は[[無量寿]]と[[無量光]]の両義を含む語であることが指摘されており、「[[南無阿弥陀仏]]」にも「[[無量寿仏]]に[[帰依]]する」との意味と、「[[無量光仏]]に[[帰依]]する」との意味が含まれているといえ、[[南無阿弥陀仏]]に含まれる意味が幅広いものであることが理解される。&lt;br /&gt;
==［理解］==&lt;br /&gt;
[[善導]]は、[[南無阿弥陀仏]]について、[[南無]]には[[発願]][[回向]]の義があり、[[阿弥陀仏]]はその行であるといい、[[南無阿弥陀仏]]と称えることで、願と行とが[[具足]]するから[[往生]]が可能になると説く。[[法然]]は『[[選択集]]』を「[[南無阿弥陀仏]]　[[往生]]の業には[[念仏]]を先となす」（聖典三・九七）と書き始め、[[極楽]][[往生]]は[[南無阿弥陀仏]]と称えることによって遂げられる、と述べた。さらに、仏によって[[念仏]]の一行が[[往生]]の[[本願]]として選取されたことについて、仏の[[聖意]]は測りがたいと述べつつ「[[名号]]はこれ万徳の帰する所なり」（聖典三・一一八）と[[念仏]]が勝れている点を説き、[[念仏]]の実践が容易であるが故に、仏は「[[称名念仏]]の一行を以て、その[[本願]]としたまえる」（同一二〇）と述べ、[[念仏]]について勝劣と難易の二面から考察を加えている。[[聖光]]は『[[授手印]]』において「心には[[三心]]を存して、口には[[南無阿弥陀仏]]と称するなり。この宗の意、この行を以て第一の行と為す」（聖典五・二二六）と述べ、[[南無阿弥陀仏]]と称える行が、[[浄土宗]]の第一の実践と述べる。[[良忠]]は『[[伝通記]]』において、[[善導]]『[[観経疏]]』の[[南無阿弥陀仏]]の[[解釈]]について「[[南無阿弥陀仏]]とは、経の題に[[南無仏]]の言なしといえども、しかも六字の[[名号]]は一経の肝心、一宗の要行」（[http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J02_0140 浄全二・一四〇下]）であるから、[[無量寿]]の[[解釈]]に合わせて[[南無阿弥陀仏]]の釈をあげたという。[[南無阿弥陀仏]]の理解に関しては、[[法然]]門下において相違がある。たとえば、[[真宗]]では「[[南無]]＝[[発願]][[回向]]」を[[阿弥陀仏]]が[[衆生]]に行を[[回向]]したと理解し、[[阿弥陀仏]]の召喚によって、[[衆生]]は[[本願]]行である[[念仏]]を称えることになると理解する。しかし、[[浄土宗]]において[[南無阿弥陀仏]]は、「[[南無]]」とは[[凡夫]]が[[往生]]を志す「願」であり、その心によって「[[阿弥陀仏]]」と称えることが[[往生]]のための「行」となり、[[南無阿弥陀仏]]の六字は[[願行具足]]したものであり、[[往生]]のための実践行である。それゆえ[[一向]]に六字の[[名号]]を称えることで[[往生]]が叶うとする。さらに『[[一枚起請文]]』や『[[授手印]]』においても説かれる、[[三心]]、[[四修]]、五念などについては、[[往生]]を願って[[南無阿弥陀仏]]と称えるうちに含まれることとなる。[[極楽]][[往生]]のためには[[南無阿弥陀仏]]と称え、疑いなく[[往生]]すると思う以外に道はなく、それゆえ[[南無阿弥陀仏]]と称える[[口称]][[念仏]]の相続が肝要となる。&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【資料】『徹選択集』、『決疑鈔』&lt;br /&gt;
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【参考】石井教道『選択集全講』（平楽寺書店、一九五九）、藤田宏達『浄土三部経の研究』（岩波書店、二〇〇七）、林田康順「法然上人〈選択〉思想の成立とその意義」（『仏教論叢』五四、二〇一〇）&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【参照項目】➡[[名号]]&amp;lt;span style=&amp;quot;border: 1px solid;color: white;background-color: black;font-weight: bold;&amp;quot;&amp;gt;一&amp;lt;/span&amp;gt;、[[阿弥陀仏]]、[[南無]]、[[六字釈]]、[[勝劣の義]]、[[難易の義]]、[[選択本願念仏]]、[[結帰一行三昧]]&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
【執筆者：石田一裕】&lt;/div&gt;</summary>
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