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		<title>信 - 版の履歴</title>
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		<title>Seishimaru: 1版 をインポートしました</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;1版 をインポートしました&lt;/p&gt;
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				&lt;tr style='vertical-align: top;' lang='ja'&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;← 古い版&lt;/td&gt;
				&lt;td colspan='1' style=&quot;background-color: white; color:black; text-align: center;&quot;&gt;2018年3月30日 (金) 06:25時点における版&lt;/td&gt;
				&lt;/tr&gt;&lt;tr&gt;&lt;td colspan='2' style='text-align: center;' lang='ja'&gt;&lt;div class=&quot;mw-diff-empty&quot;&gt;(相違点なし)&lt;/div&gt;
&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/table&gt;</summary>
		<author><name>Seishimaru</name></author>	</entry>

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		<title>2018年3月30日 (金) 06:25に192.168.11.48による</title>
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				<updated>2018-03-30T06:25:29Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;b&gt;新規ページ&lt;/b&gt;&lt;/p&gt;&lt;div&gt;=しん／信=&lt;br /&gt;
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==&amp;lt;span style=&amp;quot;border: 1px solid;color: white;background-color: black;font-weight: bold;&amp;quot;&amp;gt;一&amp;lt;/span&amp;gt;==&lt;br /&gt;
[[仏教]]における[[信仰]]の総括的呼称。「信」と漢訳される原語は一定ではないが、Ⓢ√dhā（置く）という語根にⓈśrad（真実）を付した動詞から作られた名詞ⓈśraddhāⓅsaddhāが、古来インドでは信を表す最も一般的な語と考えられる。初期経典ではこの信（śraddhā）を含む[[出家]]者の実践徳目として[[五根]]（信根・[[精進]]根・念根・定根・慧根）、[[五力]]（信力・[[精進]]力・念力・定力・慧力）等があり、いずれの場合もこれらの徳目が信に始まって慧で終わるという「信→慧」の構造を有しており、信が[[仏教]]において入門的な意味合いを帯びていることが分かる。これを踏まえて『[[大智度論]]』は「[[仏法]]の[[大海]]は信を能入と為し、智を能度と為す」（[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V25.0062c.html 正蔵二五・六二下]）と説くが、これは初期[[仏教]]以来の信と慧との関係を的確に表現しているといえよう。つまり[[仏教]]の信は盲目的な[[信仰]]ではなく、慧と結びついた信、あるいは慧と相即した信と考えなければならない。つづいて信と訳される言語に、Ⓢpra√sad（浄める・静める・満足する）から作られた名詞ⓈprasādaⓅpasādaやその形容詞ⓈprasannaⓅpasannaがある。これは浄信や澄浄と漢訳されるが、[[信仰]]で心が落ち着き、[[清浄]]となり、また信によって得られる満ち足りた心境を意味している。この他にも[[浄土]]経典などの大乗経典において信の意味で使われる語にⓈadhimuktiⓅadhimuttiがある。これはⓈadhi√muc（その上に〔心を〕解放する・その上に〔心を〕傾注する）から派生した名詞で、信解や勝解と漢訳され、教えを信じて理解すること、あるいは対象に対して明確に決定する心の働きを意味する。初期経典では疑や惑の反対概念として信が位置づけられ、仏への疑惑を断ずることが信の表明であると説かれるが、では信とは具体的にいかなる心の働きを指すのかを[[部派仏教]]以降の論書の記述を手がかりに見てみると、興味深いことに、多くの論書において、信はⓈprasādaと[[解釈]]されている。つまり[[仏教]]の信とは、心が落ち着き、[[清浄]]となり、&amp;lt;ruby&amp;gt;静謐&amp;lt;rt&amp;gt;せいひつ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;な満足感に充たされている状態、あるいは心を[[清浄]]にし、落ち着かせる精神作用を意味するので、熱狂的、あるいは狂信的な信ではないことが理解され、ここに[[仏教]]の信の特徴を認めることができる。これは、[[ヒンドゥー教]]の説くⓈbhaktiⓅbhatti（身を悶えさせるような狂信的な[[信仰]]）が、[[阿弥陀仏]]への信を強調する[[浄土]]経典にさえまったく説かれないことからも首肯されよう。上に取り上げた三語の他にも、[[浄土]]経典には信を意味する語として、Ⓢava√kḷpの使役形（準備する・整える・[[思惟]]する）や、Ⓢprati√i（近づく・受け入れる）があり、前者は信頼する、後者は信受するというほどの意味で用いられている。&lt;br /&gt;
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【参考】藤田宏達『原始浄土思想の研究』（岩波書店、一九七〇）&lt;br /&gt;
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【執筆者：平岡聡】&lt;br /&gt;
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==&amp;lt;span style=&amp;quot;border: 1px solid;color: white;background-color: black;font-weight: bold;&amp;quot;&amp;gt;二&amp;lt;/span&amp;gt;==&lt;br /&gt;
[[浄土]]経典においては不信疑惑が厳しく戒められ（『[[無量寿経]]』の疑惑[[往生]]）、[[往生]]の要件を示すのに「[[信楽]]」の語が用いられる（『[[無量寿経]]』上、第十八願）ように、信は非常に重要な位置を占めている。『[[無量寿経]]』には信の文字は三五例見られる。このうち一〇例は不信（不肯信）として用いられていて、その九例は[[三毒]][[五悪段]]に集中し、すべて作善によって[[福徳]]を得ること、[[因果]]・業報・経法に対する不信、残りの一例は疑惑[[往生]]の段にあって、仏の[[五智]]に対する不信をいう。また、四例は信が単独で用いられていて後ろに目的格を伴う。この四例は[[讃重偈]]に二例、[[五悪段]]に一例、疑惑[[往生]]の段に一例であり、いずれも「此の法」「罪福」のように教法を信ずることをいう。また、[[明信]]として用いられるものは疑惑[[往生]]段に二例あって、仏智、諸仏無上[[智慧]]を目的格とする。後者は梵本では、avakalpayanty abhiśraddadhaty adhimucyante（信頼し、信じ、信解する）をまとめて訳したもの。このほか、信受、信順あるいは[[信慧]]、信明、履信、忠信、無信が一例ずつ、また[[信心]]が二例、[[信楽]]が六例ある。これらのうち、[[信慧]]は梵本ではⓈśraddhāとⓈprajñāを並説するものであり、[[信心]]の一例は梵本でⓈabhiśraddadhatiである。また[[信心]]のもう一例（第十八[[願成就文]]）と[[信楽]]の内の一例（第三十五願）は梵本ではⓈprasādaが対応する。『[[阿弥陀経]]』では信の用例は一一例。すべて[[六方段]]以後に見られる。[[六方段]]の用例は六例で、梵本はすべてpratīyathaで（法門を）信受せよの意である。その後ろに「信受我語及諸仏所説」とあるが、この箇所も梵本ではśraddadhādhvaṃ pratīyatha mākāṅkṣayathaとなっている。また難信が二例で、梵本はvipratyayanīyaが用いられている。『[[観経]]』で信の文字が表れるのは四例に過ぎない。[[序分]]の[[三福]]の行福と第十四[[上輩観]]の[[上品]]中生に「深信[[因果]]」、[[上品]][[下生]]に「亦信[[因果]]」、[[下品]][[上生]]に「説甚深[[十二部経]]聞已信解発無上[[道心]]」とあり、前の三者は[[因果]]の[[道理]]を信じる、最後の一者は信解と熟語となっていて甚深[[十二部経]]が説かれるのを聞いて信解する、という意味であるから、いずれも教法を信じることを意味する。このように、[[三部経]]に見られる信は、[[仏語]]・教説・教法に対する信を中心とした知的なものである。また梵本の〈[[無量寿経]]〉〈[[阿弥陀経]]〉における信に対応する語は、（abhi-） Ⓢśraddhā、Ⓢprasāda、Ⓢadhimuktiに関連する語が中心である。このうち、プラサーダは静寂的な性格を持つものであり、アディムクティは信が知性的な性格であることを示している。梵本の〈[[無量寿経]]〉〈[[阿弥陀経]]〉では、熱烈な献身的[[信仰]]を意味する[[バクティ]]（Ⓢbhakti）が用いられていないことと併せて、[[浄土]]経典の信の様相を示すものであろう。これは[[法然]]が[[至誠心]]について「勇猛強盛の心を発すを[[至誠心]]と申すは、この『釈』の&amp;lt;ruby&amp;gt;意&amp;lt;rt&amp;gt;こころ&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;には&amp;lt;ruby&amp;gt;違&amp;lt;rt&amp;gt;たが&amp;lt;/rt&amp;gt;&amp;lt;/ruby&amp;gt;うなり」（『[[往生大要抄]]』聖典四・三〇五／昭法全五二）とすることと通じるものがある。&lt;br /&gt;
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【参考】藤田宏達『原始浄土思想の研究』（岩波書店、一九七〇）&lt;br /&gt;
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【執筆者：齊藤舜健】&lt;/div&gt;</summary>
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