ウィンドウを閉じる

J2810 華頂誌要 華頂山編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0168A01: 華頂誌要
J19_0168A02:
J19_0168A03: 目 次
J19_0168A04: 第 一 開創縁由 第 二 開祖畧傳
J19_0168A05: 第 三 祖德顯彰 第 四 祖忌報恩
J19_0168A06: 第 五 歷代畧譜 第 六 寺門沿革
J19_0168A07: 第 七 知恩院宮 第 八 門葉廣繁
J19_0168A08: 第 九 古文書類 第 十 伽藍興隆
J19_0168A09: 第十一 靈寶什器
J19_0168A10: 第一 開創縁由
J19_0168A11: 洛東の名山華頂の麓、金殿傑閣巍然として海内無雙
J19_0168A12: の名藍あり。是を吾淨土宗總本山知恩敎院大谷寺と
J19_0168A13: す。
J19_0168A14: 當山の創立は今を去ること七百三十餘年、圓光大師
J19_0168A15: 法然房源空上人の淨土開宗施化利生に基けり。大師
J19_0168A16: 上人初め比叡山延曆寺にましまして、圓頓菩薩戒の
J19_0168A17: 正統を禀け、徧く顯密の解行に達し、多聞廣學一代に
J19_0168B18: 獨步したまふと雖も、猶ほ其難解難入にして解脱の
J19_0168B19: 捷路と爲すに足らざるを歎き、黑谷の報恩藏に入り
J19_0168B20: て一切經を披覽したまふこと五遍。終に皇紀千八百
J19_0168B21: 三十五年高倉天皇承安五年、唐朝善導大師の觀無量
J19_0168B22: 壽經疏によりて、彌陀釋迦二尊の本懷を悟り、頓に捨
J19_0168B23: 聖歸淨の心を决したまへり。時に御年四十三。感悅
J19_0168B24: の情自から禁する能はす。乃ち叡岳を辭して庵を洛
J19_0168B25: 東吉水の邊即ち當山境域内に結ひ、淨土の宗名を立
J19_0168B26: てて、熾んに專修念佛の一行を勸め給ふ。德風の薰
J19_0168B27: する所、朝野靡然として之に歸向し、求道の士女絡
J19_0168B28: 繹として其門に集まる。
J19_0168B29: 抑吉水の地たる、華頂の勝槪を占め、全都を一眸に
J19_0168B30: 收めて遙に西山を望む。眞に是大悲傳普化の好道場
J19_0168B31: なり。されは他に暫住兼帶の地多しと雖も、獨り當
J19_0168B32: 山を以て多年永住の本處と定めたまへり。是吉水上
J19_0168B33: 人の名を專にしたまふ所以なり。當時大師の住坊三
J19_0168B34: 所にあり。一は西山廣谷の庵室を移せるもの、之を

ウィンドウを閉じる