浄土宗全書を検索する
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巻_頁段行 | 本文 |
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J20_0253A01: | 度江戸燒亡の時に减數し當今學寮の中の檀家漸く三 |
J20_0253A02: | 四十より六七十軒にみてず寮も又年を追て衰敗し當 |
J20_0253A03: | 今漸く四十寮となれり |
J20_0253A04: | 文政元寅年十二月學寮四十院の名 |
J20_0253A05: | 櫻谷北 空寮 鸞及 秀山 空寮 達忍 大道 |
J20_0253A06: | 靈貫 良冏 的順 |
J20_0253A07: | 同谷南 順厚 辨定 存統 法道 琢音 |
J20_0253A08: | 中谷 淨因 空寮 演戒 澤恩 順海 |
J20_0253A09: | 靈恩 立信 覺丈 快順 |
J20_0253A10: | 柳谷北 善隆 密堂 智航 縁碩 慧嶽 榮全 |
J20_0253A11: | 同 南 了察 敎順 順道 成山 乘法 |
J20_0253A12: | 錦谷北 覺道 台純 靈純 仰觀 |
J20_0253A13: | 同 南 靈存 靈瑞 寬山 空寮 |
J20_0253A14: | 朱璽賜章 |
J20_0253A15: | 御朱印 |
J20_0253A16: | 靈巖寺領武藏國豐島郡葛西大島村之内 |
J20_0253A17: | 五拾石事新寄附之畢并寺中門前竹木諸 |
J20_0253B18: | 役等免除永不可有相違者也仍如件 |
J20_0253B19: | 寬文五年七月十一日(御朱印) |
J20_0253B20: | 開山廣濟 |
J20_0253B21: | 靈巖大和尚は檀蓮社雄譽松風と號す駿河國沼津人沼 |
J20_0253B22: | 津土佐守氏勝が三子天文廿三年正月父三河國鴫原城 |
J20_0253B23: | 主山岡氏を攻ける時討死により母愁傷し出家とす永 |
J20_0253B24: | 祿七子年二月十五日十一歳にして同所淨蓮寺開山增 |
J20_0253B25: | 譽上人の弟子となり剃染受戒す幼稚より俊惠邁彥常 |
J20_0253B26: | 倫に超たり同十一辰年生實大巖寺に入て修學し法問 |
J20_0253B27: | 講釋怠る事なく天正二戌年廿一歳にて三國佛祖の相 |
J20_0253B28: | 傳を禀承し同十五年龍澤山の第三世に擢擧せられ同 |
J20_0253B29: | 十八年以後度度江城御前の法問に召れ又縁山へ入御 |
J20_0253B30: | の節御前の法問に出席あり此時故ありて龍澤山を辭 |
J20_0253B31: | し東海道を遊化し近江國蒲生郡布施村に福壽寺同國 |
J20_0253B32: | 上羽田村に圓通寺を起立し翌十九年南都に靈巖院を |
J20_0253B33: | 開創あり請によりて山城國宇治の稱故寺の本堂を建 |
J20_0253B34: | 立し同國瀧鼻村に西光寺を剙營す文祿元年二月廿九 |