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J2810 華頂誌要 華頂山編 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J19_0170A01: 四月七日久米の南條稻岡の庄に降誕したまへり。幼
J19_0170A02: 名を勢至丸といふ。
J19_0170A03: 父時國常に本姓に慢する心ありて、當庄の預所源内
J19_0170A04: 定明の執務に從はさりしかは、定明之を怨み、保延
J19_0170A05: 七年の春、夜陰に乘して時國を襲ひ、深傷を被らし
J19_0170A06: む。勢至丸時に九歳、小矢を放ちて定明の眉間を傷
J19_0170A07: く。定明之に由り其發覺せん事を恐れて奔竄す。時
J19_0170A08: 人小兒の勇を嘆して小矢兒と稱す。時國終に臨み遺
J19_0170A09: 命して曰はく。「汝更に敵を怨むことなかれ。皆是前
J19_0170A10: 世の宿業なり。若遺恨を結ひて仇を復せは、其報世
J19_0170A11: 世に盡きがたし。如かす早く出家して我菩提を吊ひ
J19_0170A12: 自の解脱を求めんには」と勢至丸命に服して同國菩
J19_0170A13: 提寺に到り、叔父觀覺に事ふ。觀覺經書を授くるに、
J19_0170A14: 聞く所の事憶持して更に忘るることなし。
J19_0170A15: 久安三年二月十五歳觀覺狀を具して之を比叡山西塔北
J19_0170A16: 谷持寶房源光の許に送る。狀に云はく。「進上大聖文
J19_0170A17: 殊像一體」と。蓋し小童の俊秀を諷するなり。源光
J19_0170B18: 其非凡を察し、當時の名匠功德院皇圓阿闍梨に薦む。
J19_0170B19: 四月其門に入り、十一月剃染受戒す。法名圓明房善弘十六歳
J19_0170B20: の春より天台の三大部を講究し、三年にして業を卒
J19_0170B21: ふ。惠解天縱殆んど師授に超えたり。阿闍梨感歎し
J19_0170B22: て、益學業を勵み、圓宗の棟梁たるべしと勸奬する
J19_0170B23: や切なり。然れとも當時滿山の大衆、多くは加持祈
J19_0170B24: 禱を事として顯榮利祿に耽り、眞摯に佛道を求むる
J19_0170B25: もの尠く、甚しきは干戈を弄して世の騷擾を釀すも
J19_0170B26: のなきにあらず。大師深く之を厭ひ、久安六年九月
J19_0170B27: 十八歳忽ち師席を辭して西塔黑谷に遁れ、 慈眼房叡空
J19_0170B28: の室に投し、幼稚の昔より成人の今に至るまて、父
J19_0170B29: の遺言忘れかたくして隱遁の志深きよしを述ふ。叡
J19_0170B30: 空隨喜して法然房源空と名く。黑谷は叡山の別所に
J19_0170B31: して、閑靜比なく、和漢の聖敎報恩藏に滿てり。叡
J19_0170B32: 空上人は大原良忍の徒にして、圓頓菩薩戒の正統を
J19_0170B33: 繼き、又頗る眞言密乘の達者なり。
J19_0170B34: 大師此に於て戒密二敎を究め、幾ならすして血脉を

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