ウィンドウを閉じる

J1360 一枚起請文梗概聞書 関通 画像

続浄の割書は、青字で小さく表示。

巻_頁段行 本文
J09_0145A01: ることをうらむべし・その外百非をはなれたるとも
J09_0145A02: から・いかてか甲乙の舌をのべんや・就中上人は・
J09_0145A03: 王公卿臣の家よりも生せず・茅屋茂林の下より出た
J09_0145A04: りといへとも・殿上にめされて・猶高座にのぼる・
J09_0145A05: 公請學道の業に・たづさはる事なけれども・明王に
J09_0145A06: 召されて歸敬せらる・是ひとへに・慈覺大師の遺風・
J09_0145A07: 十重尸羅の戒香・ふかく法衣にそみ・善道和尚の餘
J09_0145A08: 流・三昧發得の定力・遠く心緖をつたへるによりて
J09_0145A09: なり云云
J09_0145A10: 參議行忠書
J09_0145A11:
J09_0145A12: 慧光菩薩號人皇七十七代 後白河院勅なり大師御在世凡そ承安已後建久三年已前の事とそ
J09_0145A13: 華頂尊者穪人皇八十六代 四條院勅大師入滅二十有餘年之後なり
J09_0145A14: 通明國師號人皇八十七代 後嵯峨院勅大師入滅三十餘年後 帝知恩院に行幸ましまして賜りしとなん
J09_0145A15: 天下上人無極道心者穪人皇百三代 後花園院勅大師入滅二百十有餘年之後なり
J09_0145A16: 光照大士號人皇百五代 後柏原院勅大師入滅二百九十有餘年之後なり
J09_0145A17: 圓光大師號人皇百十四代 東山院勅大師入滅後四百八十有餘年〓經て元祿十年正月十八日 宣下
J09_0145B18: 東漸之謚號人皇百十五代 中御門院勅大師入滅後五百年之御忌寳永八年正月十八日加賜
J09_0145B19: 慧成之加號人皇百十七代 今上皇帝勅丁 大師入滅後五百五十年之御忌辰寳曆十一年正月十八日賜
J09_0145B20: 御忌之鳳詔後柏原院忝此會の法則を定給ひ宜修法然上人之御忌之旨 鳳詔を下されしより毎年の法儀其規を
J09_0145B21: 差へす于今日沒の法事は笏拍子にて行導念佛するも亦是故なり導師登高座にて開闢に擊ち給ふ笏は則
J09_0145B22: 主上の賜りし笏なりとそ依之御忌之間日沒上堂の時は毎度此笏を錦囊に納て西堂侍者捧け持て導師の
J09_0145B23: 右に侍し參堂するなり
J09_0145B24: 華頂山勅額人皇百十三代 靈元院宸翰寳永八年辛卯正月十七日賜最初文曆年中山號寺號院號並に 勅額を賜りき
J09_0145B25: 其後度度の回祿に紛失しけり今の三門の勅額まて三箇度に及と聞へたり
J09_0145B26: 大谷寺勅額人皇百六代 後奈良院の宸翰なりとそ是亦最初の額は紛失せり文曆の時は佛殿に大谷寺廟堂に知恩院と
J09_0145B27: 賜るより今御影堂に懸れり
J09_0145B28: 知恩院額是亦同 帝之宸翰なる歟或は宸翰を染られて後靑蓮院尊鎭法親王再題し給ふ歟彼親王令旨に當院の額三
J09_0145B29: 箇所依度度の錯亂令紛失之間今般被染 宸翰再予又題候とあり尊鎭法親王は 後奈良院の御弟 後柏原
J09_0145B30: 院第三皇子なり
J09_0145B31: 已上大師本迹高玅の實德を宣揚し奉る事上來擧る所
J09_0145B32: の諸文の如し自餘元祿年中大師號勅許の次第私記一
J09_0145B33: 卷流行せり繪圖詞書ともに詳なり并に五百五十年御
J09_0145B34: 忌圖錄又刊行はる書林の所爲聊か筆誤あるに似たり

ウィンドウを閉じる