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観無量寿経疏

提供: 新纂浄土宗大辞典

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かんむりょうじゅきょうしょ/観無量寿経疏

四巻。『観経疏』『観経四帖疏』『楷定疏』などともいう。善導集記。成立年次不詳。善導の生没年から七世紀中ごろの成立か。

[概要]

本書は善導の主著にして、唯一の教義書でもある。おそらく善導の著作活動の中でも後期の著作であるとともに、定善義の内容から見ると善導が行った『観経』の講義をもととして作成された書物と考えられる。内容は『観経』の注釈書であり、玄義分・序分義・定善義・散善義の四巻で構成されている。

善導以前および善導当時の『観経』理解と阿弥陀仏信仰

観経』は漢訳後、まず曇鸞が『往生論註』で引用し、その後は隋代になって浄影寺慧遠じょうようじえおん吉蔵が『観経義疏』を撰述した頃から本格的な研究が始まったものと考えられる。慧遠吉蔵当時、『観経』は精神集中を目的とした禅観系の経典として理解される傾向が強く、また『観音授記経』などを典拠として阿弥陀仏寿命は「無量寿」とはいえ限界があるものであり、阿弥陀仏応身として捉えられていた。また善導よりやや先行する迦才は、『摂大乗論』などを典拠として二乗凡夫が見ることが可能な仏身は化身であるから、凡夫化土にしか往生できないという学説を主張していた。また善導と同時代に活躍した玄奘は「凡夫が次の生において阿弥陀仏報土往生することは不可能である」という見解を提示し、自らは弥勒信仰を提唱した。これら諸説に対して善導は『観経疏』の末尾で「某今この『観経』の要義を出して古今を楷定かいじょうせんと欲す」(聖典二・三二五/浄全二・七二上)と表明し、自説こそが最も正しい『観経』理解であるとともに、『観経』の経旨であることを主張している。

[『観経疏』の内容]

玄義分の「玄義」とは幽遠にして深妙なる内容を言説化するという意味であり、玄義分は『観経』の幽遠にして深妙なる内容について、『観経』の逐文解釈に先立って明示することを目的としたものである。いうなれば善導の『観経解釈の総論と、以下の逐文解釈の前提的な内容が説示されている。玄義分の構成は、まず十四行偈を説いた上で、七門に渡って阿弥陀仏信仰に関する自説を主張している。十四行偈三宝帰依願生浄土を論旨とする偈文であり、『観経疏』の「玄之玄」的な箇所でもあり、『観経疏』の総序的内容を説示している。また七門とは第一先標序題(序題門)、第二次釈其名(釈名門)、第三依文釈義、並弁宗旨不同、教之大小(宗旨不同門)、第四正顕説人差別(説人差別門)、第五料簡定散二善通別有異(定散料簡門)、第六和会経論相違、広施問答、釈去疑情(和会経論相違門)、第七料簡韋提聞仏正説得益分斉(得益分斉門)のことである。

第一序題門では、真如法性について論じつつも、凡夫阿弥陀仏本願力によるより他に極楽世界往生するための一切の手立てがないことを主張しつつ、『観経』の本旨を端的に論及している。

第二釈名門では『観経』の経題を「仏」「説」「無量寿」「観」「経」に分節しつつ解説を行っている。

第三宗旨不同門は『観経』の根本的趣意(宗)と、『観経』が菩薩蔵・頓教の所収であることを指摘している。

第四説人差別門は『観経』が釈尊自説であることを指摘するとともに、韋提希等のために説かれた法門であることを指摘している。これは浄影『観経義疏』の「五要」の「第五須知説人差別」に相当するものである。ただし慧遠が『観経』の対告たいごうの相手を韋提希として捉えたことに対し、善導韋提希と未来世一切衆生を提示することで、独自の『観経』理解を示すとともに、この慧遠善導の見解の相違が両者の『観経』科段の相違にまで深く関わることとなる。

第五定散料簡門では『観経』所説の十六観について、前十三観定善とし、後三観散善とした上で、定善韋提希の致請、散善は未来世一切衆生のために釈尊が自らの意志で開示した教えであるとしている。この理解は善導独自の解釈であり、善導慧遠をはじめとする善導以前の『観経解釈に対して厳しい批判を展開している。

第六和会経論相違門では六項目を挙げて経典と論書との相違点を取り上げ、それらが矛盾した内容ではないことを主張している。六項目中、第一から第四項目では九品の階位設定問題について言及し、善導以前の『観経解釈では九品の階位を高位に捉える傾向にあったことを強く批判し、九品はすべて凡夫であることを主張している。第五項目では別時意会通説について言及し、阿弥陀仏信仰における実践行について解説を行っている。第六項目では阿弥陀仏報身説を提唱した上で、極楽世界報土であることを指摘し、さらに二乗種不生説への対応を行っている。

第七得益分斉門では『観経』所説のいわゆる「王舎城の悲劇」の主人公のひとりでもある韋提希について取り上げ、韋提希無生法忍を獲得した場所は、『観経』中の第七華座観冒頭で韋提希が住立空中の阿弥陀仏三尊を見た時であると主張している。また「序分義」末尾では韋提希が獲得した無生法忍の階位は決して高位な階位ではなく、十信中の無生法忍であると主張していることから、善導は「王舎城の悲劇」を観察対象としてではなく、あくまでも実際に古代インドであった悲劇であり、韋提希はどこまでも凡夫であり、釈尊凡夫である韋提希に対して浄土門を開示したことを示唆しようとしているのである。

このように善導は自らの『観経』理解の独自性を玄義分において整理しているが、特に着目すべき点として、上述の①『観経』の科段②定善散善の区別③九品の階位設定④別時意会通説⑤阿弥陀仏報身説⑥二乗種不生説への対応⑦韋提希凡夫説などが挙げられる。これら種々の教義的な問題は善導一人が時代と乖離して議論したものではなく、善導以前と善導当時において個々の阿弥陀仏信仰者が議論していた問題でもあり、善導はこれらの問題に対して阿弥陀仏本願という一貫した視座から対応を行っている。つまり『観経疏』玄義分は『観経』の解釈史上において極めて独自な見解を提示する内容であるとともに、善導が『観経疏』全編を通じて主張する阿弥陀仏本願凡夫報土往生説が端的に説示されている箇所でもある。

序分義はいわゆる王舎城の悲劇に関する内容を詳説している。まず「如是我聞」の一句のみを証信序しょうしんじょとし、以下の「阿難」から序分末尾までを発起序ほっきじょとし、この発起序化前序けぜんじょ禁父縁こんぶえん禁母縁こんもえん厭苦縁えんくえん欣浄縁ごんじょうえん散善顕行縁さんぜんけんぎょうえん定善示観縁じょうぜんじかんえんという七科段に分けて逐文解釈を施している。善導のように王舎城の悲劇に関する内容を詳説する『観経解釈は他になく、この序分義の存在そのものが善導の『観経解釈の独自性のひとつでもある。

定善義は第一観から第十三観までの逐文解釈であり、この中に善導が『観経』を講義していた様子、いわゆる講経の形態を確認することができる。また第八観ではいわゆる指方立相説を、また第九観では三縁釈を提示するなど、善導教学の中でも重要な内容が多く説示されている箇所でもある。

散善義は第十四・第十五・第十六観および『観経流通分、つまり『観経』所説の九品などに関する経文に対する逐文解釈である。上品上生釈では三心釈があり、善導三心に関して詳細な解説を行うとともに、いわゆる五種正行説と助正二行説を提示している。下品下生釈では抑止おくしと摂取に関する問題について言及している。また『観経流通分まで註釈した後に、善導自身が『観経疏』を執筆する一大機縁となった奇瑞に関する説示も附されている。

本書は善導自身が「古今を楷定せんと欲す」(聖典二・三二五/浄全二・七二上)といって従来の『観経解釈のすべてを是正することを目的とすると発言するように、『観経』を「観察経典」から「阿弥陀仏救済を説示する経典」へと解釈学的にも信仰論的にも大きくその方向性を変換させることとなったが、善導以後の中国仏教ではその理解は積極的に受け入れられることはなかった。むしろ『観経疏』の持つ衝撃性を如実に理解したのは、法然であろう。

[日本への影響]

観経疏』は日本に紹介後、源信永観珍海などが着目し、その後、法然善導のことを阿弥陀仏化身善導の発言を阿弥陀仏の直説と捉え、善導の所説を典拠として選択本願念仏説を提唱し浄土宗開宗するに至った。


【所収】聖典二、浄全二、正蔵三七


【参考】柴田泰山『善導教学の研究』(山喜房仏書林、二〇〇六)


【参照項目】➡十四行偈観無量寿経善導


【執筆者:柴田泰山】