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観無量寿経

提供: 新纂浄土宗大辞典

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かんむりょうじゅきょう/観無量寿経

一巻。『観無量寿仏経』あるいは『無量寿観経』とも呼称し、『観経』と略称する。畺良耶舎きょうりょうやしゃ訳。「浄土三部経」の一つ。

[概要]

サンスクリット語原典とチベット語訳はなく、いわゆる原典的な資料は確認されていない。漢訳経典とウイグル語訳が現存するが、ウイグル語訳は漢訳からの翻訳と考えられている。本経典の成立に関しては、①訳語中に葡萄の存在を示唆する「瓔珞盛漿」や、仏身の巨大性などから、中央アジアを成立地とする説、②九品が中国の九品人法に由来することから、中国での編纂を主張する中国撰述説、③阿闍世説話の存在がある一方で、訳語中に「丈六八尺」など中国独自の単位があることから、原典は中央アジアでできており、これを漢訳時に多分に中国的要素を追加しつつ経典を翻訳したとする折中説が提唱されている。近年の研究ではこのうち③折中説が有力視されている。また各種の観仏系経典類との内容的な近似性を考慮すると、具体的な観仏を実践していた部派の影響を受けていることが分かる。漢訳は畺良耶舎が訳出し、僧含が筆受したと伝えている。また訳語中に「亦説法比丘四十八願」とあることから、本経典は『無量寿経』成立後の成立であるとともに、『無量寿経』の影響を強く受けつつ成立したことが分かる。中国では訳出後、金石文などに「九品」などの用例を確認することができるが、本格的な引用は曇鸞の『往生論註』が初出である。その後、隋代から唐代にかけて、浄影寺慧遠じょうようじえおん観経義疏』、吉蔵観経義疏』、敦煌文献『無量寿観経纉述』、善導観経疏』、道誾どうぎん観経疏』、龍興観経記』など、多くの註釈書が作成された。

[内容]

本経典は、①いわゆる阿闍世説話といわれる王舎城の悲劇、②王舎城における釈尊の教説としての十六観、③耆闍崛山ぎじゃくっせんにおける阿難の再説に大きく区分することができる。いわゆる阿闍世説話といわれる①王舎城の悲劇は、阿闍世が父王頻婆娑羅びんばしゃらと母韋提希を幽閉して殺害しようとする悲劇が説示されている。これは本経典の下品下生と深く関与する内容でもあり、本経典が五逆罪を犯した者、つまり阿闍世救済をも念頭に置いた内容を有するものであることを示唆するものでもある。なお『観経』所説のこの阿闍世説話がどの系統の説話を根拠とするものかという問題については『涅槃経』などとの交渉も考えられる。②王舎城における釈尊の教説としての十六観は、この王舎城の悲劇を遥か耆闍崛山から見ていた釈尊が、韋提希の致請によって王舎城に赴き、ここで説示した極楽世界の具体的な様相を目の当たりに観察する実践行のことである。③耆闍崛山における阿難の再説は、王舎城における釈尊の教説を、耆闍崛山に立ち戻った阿難がもう一度、説示し直すという内容である。これは慧遠道綽が着目し、善導がさらに強調している箇所である。なお本経典の科段については、慧遠などの科段と、善導の科段が大きく異なっている。

たとえば慧遠は『観経』の一部を、①「如是我聞」~「世尊復有何等因縁提婆達多共為眷属」は序分、②「唯願世尊為我広説無憂悩処」~「世尊悉記皆当往生生彼国已得諸仏現前三昧無量諸天発無上道心」は正宗分、③「爾時阿難即従座起前白仏言世尊当何名此経」~「爾時阿難広為大衆説如上事無量諸天及龍夜叉聞仏所説皆大歓喜礼仏而退」は流通分と区分している。この区分から、慧遠は『観経』の内容について、①頻婆娑羅王・韋提希阿闍世を中心とする王舎城での悲劇が、経典の発端である序分に相当する。②韋提希阿闍世から幽閉を命ぜられ悲嘆し、釈尊に「悩みや憂いが存在しない国土」の説示を求める箇所から以降、十六観を経て、釈尊の教説を聴聞し終えた韋提希無生忍を得て五〇〇人の侍女が阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだいしんを発し釈尊から往生授記を得る箇所までが、『観経』の正宗分である。③阿難釈尊にこの教説の名称を質問したことに対する釈尊の回答が王宮会おうぐうえ流通分であり、釈尊王舎城から虚空を歩み耆闍崛山に帰った後に行われた阿難再説が耆闍会流通分である、と解釈していることが分かる。つまり慧遠は『観経』を観仏系経典として理解し、正宗分の内容すべてを観察行の対象として理解しているのである。

しかし善導はまず『観経』を王宮会(王舎城における釈尊の教説)と耆闍会耆闍崛山における阿難の再説)に二分し、王宮会・耆闍会それぞれの内容に序分正宗分流通分が存在すると区分している。また慧遠が『観経』所説の十六観定善じょうぜん解釈したことに対して、善導は初観から第十三観定善、第十四観から第十六観散善さんぜんと規定し、さらに定善韋提致請いだいちしょう散善釈尊の自説として理解している。善導は自身の『観経疏』玄義分中の第五料簡定散両門において、慧遠を強く意識しつつも、〈定善思惟・正受=十三観=韋提致請/散善三福および九品釈尊自説〉という自説を展開させている。しかも玄義分の前半部分において、かつ九品に関する議論の前にこの定散二善の議論を設置することによって、①『観経』の科段が定善十三観散善三観から構成されていることを明示。②定善十三観は韋提致請の範囲、散善三観釈尊自説の範囲であることを明示。③散善機根とは未来世一切の凡夫であり、かつこの未来世一切の凡夫一心信楽往生を求願して、上は一形を尽くし下は十念を修めることで、阿弥陀仏願力に乗じて必ず往生を得ることを主張、という三点を複合的に説示している。

善導における『観経』の科段は表のようになる。

なお善導は『観経疏』の末尾において「上来、定散両門の益を説きたまうといえども、仏の本願に望むれば、意、衆生をして一向に専ら弥陀仏の名を称せしむるに在り」(聖典二・三二三~四/浄全二・七一下)と述べ、定散二善という『観経』の説示内容を「一向専称弥陀仏名」へと転換させていく。この善導独自の『観経解釈および阿弥陀仏阿弥陀仏本願に対する理解が、後の法然をはじめとする日本浄土教に大きな影響を与えていくこととなる。その意味においても本経典は阿弥陀仏信仰の中核的存在であるとともに、極楽世界有相なることを明瞭に説示している極めて重要な経典でもある。


【所収】聖典一、浄全一、正蔵一二


【参考】藤田宏達『浄土三部経の研究』(岩波書店、二〇〇七)、坪井俊映『浄土三部経概説』(法蔵館、一九九六)


【執筆者:柴田泰山】


序分 証信序 如是我聞
発起序 一時~云何見極楽世界
化前序 一時仏在~法王子而為上首
禁父縁 王舎大城~顔色和悦
禁母縁 阿闍世~不令復出
厭苦縁 韋提希被幽閉~共為眷属
欣浄縁 唯願為我広説~教我正受
散善顕行縁 爾時世尊即便微笑~浄業正因
定善示観縁 仏告阿難等諦聴~云何得見極楽国土
正宗分 定善十三観
散善三観
得益分 説是語時~無量諸天発無上道心
流通分 爾時阿難即従座起~聞仏所説皆大歓喜
耆闍分 爾時世尊足歩虚空~礼仏而退