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華厳宗

提供: 新纂浄土宗大辞典

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けごんしゅう/華厳宗

中国で唐代に形成された、『華厳経』を所依の経典とする宗派。また日本において、聖武天皇が南都六宗の中心的存在として創設した宗派。大本山は奈良市雑司町の東大寺。中国や新羅・高麗において発展した華厳宗の教理を、華厳教学と呼ぶ。初祖を杜順、第二祖を智儼ちごん、第三祖を法蔵とする。その教理は智儼が玄奘の新唯識思想への対応をするなかで形成され、法蔵によって教義が体系化された。法蔵の主著は『華厳五教章』と『華厳経探玄記』。その後、第四祖を澄観、第五祖を宗密とする五祖説が成立した。澄観は『八十華厳』の注釈と、その細注『演義鈔』を著した。宗密は教禅一致説を主張し、『原人論げんにんろん』では三教一致にも展開した。新羅・高麗へは智儼の弟子義湘が初めて伝えた。高麗では均如や『円宗文類』を編纂した義天の存在は大きい。また知訥ちとつは現代韓国曹渓宗中興の祖と称される。日本への華厳典籍の将来は、直接、中国僧の道璿どうせんによってなされ、また大安寺僧の審祥しんじょうが新羅に留学して将来した。聖武天皇は審祥に『六十華厳』開講を命じ、華厳宗立宗への道を開いた。東大寺教学は、一宗・一派・一行の選択仏法全体を表徴する理念を構築した。最澄天台宗空海真言宗も、さらには法然に代表される鎌倉仏教もこの理念を継承した。また鎌倉時代の華厳宗の僧、明恵は、その著『摧邪輪』において法然の『選択集』を批判。凝然は、その著『源流章』において、法然前後の浄土教の歴史的展開を論じたことでも著名。


【参考】吉津宜英「全一のイデア—南都における『華厳宗』成立の思想史的意義—」(『鎌田茂雄博士古稀記念華厳学論集』大蔵出版、一九九七)、崔鈆植「『大乗起信論同異略集』の著者について」(『駒沢短期大学仏教論集』七、二〇〇一)、高峯了州『華厳思想史』(百華苑、一九六三)、坂本幸男『華厳教学の研究』(平楽寺書店、一九五六)、木村清孝『初期中国華厳思想の研究』(春秋社、一九七七)、吉津宜英『華厳一乗思想の研究』(大東出版社、一九九一)、木村清孝『中国華厳思想史』(平楽寺書店、一九九二)、石井公成『華厳思想の研究』(春秋社、一九九六)、大竹晋『唯識説を中心とした初期華厳教学の研究』(大蔵出版、二〇〇七)


【参照項目】➡東大寺


【執筆者:吉津宜英】