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良順

提供: 新纂浄土宗大辞典

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りょうじゅん/良順

嘉暦三年(一三二八)—応永一六年(一四〇九)五月二六日。円蓮社聖満。性満とも表記。鎌倉光明寺四世、鴻巣勝願寺四世。鎌倉の人。安東弾正左衛門尉信親の四男、母は糟谷氏。定慧に師事し、観応三年(一三五二)一一月定慧より『授手印』を、康安元年(一三六一)八月璽書を伝授され、光明寺四世となり勝願寺も兼帯した。また『教相十八通』では聖冏了実と共に署名をしている。応永元年(一三九四)武蔵国足立郡原市(埼玉県上尾市)に相頓寺を起立した。同一一年七月順誉了専璽書を授け、光明寺を引退。弟子良意勝願寺五世)、良見(白子悟真寺開山)がいる。世寿八二歳。肖像と墓地光明寺にある。


【資料】『鎮流祖伝』四、『新撰往生伝』一(共に浄全一七)、『総系譜』『鎌倉光明寺志』(共に浄全一九)、『浄統略讃』(続浄一七)、宇高良哲『関東浄土宗檀林古文書選』(東洋文化出版、一九八二)


【執筆者:石川達也】