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良心

提供: 新纂浄土宗大辞典

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りょうしん/良心

弘長二年(一二六二)—元亨三年(一三二三)六月五日。あざなは持阿弥陀仏、略して持阿ともいう。性心弟子であり、藤田派を大成した人物。武蔵国藤田庄(埼玉県寄居町)出身。藤田行重の子。同郷同族の関係から弱齢にして性心弟子になったとされる。弘安六年(一二八三)名越尊観について宗義を学び、同九年に上洛し、良忠に師事。良忠滅後の正応元年(一二八八)二七歳のとき、秩父においてふたたび性心について、永仁四年(一二九六)に至るまで九年間学び、永仁元年(一二九三)一〇月九日には性心より『疑問抄』を相伝されている。また年時は定かではないが性心が開いた下総国岩井(茨城県坂東市)高声寺二世となっている。同五年郷里藤田に善導寺を創建し、入滅する元亨三年まで住し、布教の中心とした。また下総国小福田無量寿寺を創建し、寺中に土塔を造り相伝の秘書を蔵したといわれ、このことから良心の流れを土塔派ともいう。これらのほか、同国には下大野の正定寺、西泉田の西光寺、内門の大翁寺など、武蔵国には武蔵野の常光寺、中野の神光寺など、多数の寺院を創建している。また良忠の著作に注釈を施すなど著作活動も精力的に行っており、著作として『往生論註記見聞』五巻、『伝通記受決鈔』一八巻、『往生十因糅要鈔』三巻、『授手印決答受決鈔』二巻などがある。良心の著作を「藤田見聞」または「持阿見聞」と呼んでいる。弟子には持名がいる。


【資料】良心『伝通記受決鈔』、『総系譜』(浄全一九)


【参考】大島泰信『浄土宗史』(浄全二〇)、恵谷隆戒『概説浄土宗史』補訂版(隆文館、一九七八)


【参照項目】➡藤田派性心


【執筆者:沼倉雄人】