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義寂

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ぎじゃく/義寂

後梁・貞明五年(九一九)—宋・雍熙四年(九八七)。中国浙江省温州の人。俗姓は胡氏、あざなは常照。天台山螺渓らけい伝教院の開山であるため、螺渓尊者と称される。戒具の後、会稽で律を学び、次いで清竦せいしょうの門に入って止観の妙旨を体得した。相次ぐ兵乱のため天台一家の典籍が散逸していることを憂い、忠懿ちゅうい王の外護を受けて海外にこれを求め、章疏類の復帰に多大なる貢献をした。その功の故に後世、天台中興の祖と呼ばれる。


【参考】島地大等『天台教学史』(中山書房、一九三三)


【執筆者:小林順彦】


七世紀から八世紀前半頃の人。生没年不明。新羅僧。海東華厳の祖義湘(六二五—七〇二)の高弟。善珠の『唯識義灯増明記』一では、唯識宗六家の一人とされ、唯識学者として高名であった。義寂には『唯識未詳決』など総数二一部六七巻もの著書があったとされるが、その大半が散逸し現存しない。彼の『無量寿経述義記』も散逸したが、後世の引用文に基づいて一部が復元された。『無量寿経述義記』から知り得る義寂浄土思想は、善導懐感の思想に立脚して口称念仏を重視するものである。


【参考】恵谷隆戒『浄土教の新研究』(山喜房仏書林、一九七六)


【執筆者:山中行雄】