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真言宗

提供: 新纂浄土宗大辞典

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しんごんしゅう/真言宗

平安時代初頭、入唐して真言密教の奥義を継承した空海が、日本において開いた仏教の一派。ただし幾多の変遷があり、現在、単一の教団としての真言宗は存在せず、数十にも及ぶ教団真言宗の教えを標榜して活動している。空海による立教開宗の時期については学問的な定説を見ないが、空海が京に入って帰国の報告をし、それ以来、灌頂を行ったとして、大同二年(八〇七)を以て立教と位置付ける真済『空海僧都伝』の記述が尊重されている。空海は弘仁三年(八一二)、高雄山寺(神護寺)において最澄らに金剛界、胎蔵界灌頂を行い、同七年、根本道場とすべく高野山開創の勅許を得ている。空海もしくは真言宗は、こうした間に十分認知されたと言えよう。同一四年には東寺空海に勅賜され、京都における真言宗の重要な拠点となった。真言密教師資相承は、『選択集』一において法然も言及するように、教主大日如来に始まり金剛薩埵、龍猛(龍樹)、龍智、金剛智、不空、恵果と続き、延暦二四年(八〇五)、長安青龍寺において恵果から空海が第八祖を継承する。この系譜を付法の八祖という。真言宗では『大日経』といわゆる『金剛頂経』を「両部の大経」と称して所依の経典に位置付け、三密加持により法身大日如来と我との入我我入不二一体を直観する即身成仏を宗旨とする。第一祖に大日如来を、第二祖に金剛薩埵を位置付けるのは、法身大日如来衆生三密は一味であり平等であるという密教の極意を体得した金剛薩埵が、大日如来にこの世に密教を伝える許可を求めたという『金剛頂経』の所説によるが、法身大日如来付法の第一に戴くところに、法身との一体化を目指す宗旨の本質が窺える。なお付法の八祖に別の系譜を加えた伝持の八祖があり、これは龍猛、龍智、金剛智、不空、善無畏、一行、恵果、空海と系譜する。空海亡き後の真言宗は、平安中期に密教修法を研究する事相が発展し、小野・広沢流などから諸法流が展開。また平安末期には覚鑁かくばん高野山内に伝法教院を建立して教学の振興を図ったが、高野山側と対立して根来ねごろ山に移住。これが新義と古義に分裂するきっかけとなった。のちに新義の根来山から豊山派、智山派が分かれた。


【資料】空海『真言付法伝』(『弘法大師空海全集』二、筑摩書房、一九八三)、『空海僧都伝』(『弘法大師空海全集』八、筑摩書房、一九八三)


【参考】高木訷元『空海 生涯とその周辺』(吉川弘文館、一九九七)、勝又俊教『密教入門』(春秋社、一九九一)、同『興教大師の生涯と思想』(山喜房仏書林、一九九二)


【参照項目】➡空海覚鑁


【執筆者:袖山榮輝】