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無常

提供: 新纂浄土宗大辞典

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むじょう/無常

常ならざること。ものごとのありかたが常住不変でなく、常に変化するということ。諸行無常として三法印あるいは四法印の一つとされる。ⓈanityaⓅaniccaⓉmi rtag pa。非常と訳されることもある。『増一阿含経』三〇に「無常は、すなわちこれ苦なり」(正蔵二・七一五下)と説かれるように、苦そのものでもあり、また『雑阿含経』一七に「我れ一切の行無常のゆえに、一切の諸行変易の法のゆえに、もって諸の有するところの受を、ことごとく皆これ苦なりと説く」(正蔵二・一二一上)というように苦の原因でもある。あらゆるものごとが無常であるのは、それらが原因や条件によって存在するものだからであり、原因や条件に左右される存在は、常住なものではない。常住なものとは、原因にも条件にも左右されることなく存在するもののことである。無常の思想は仏教の中心教理の一つであり、部派仏教では無常の考察から刹那滅という考えが生まれた。刹那滅とは、この世界因果関係の上に成り立つことを前提とし、現在を一瞬一瞬の積み重ねと理解する思想である。つまり、あらゆるものごとは一刹那の現在にのみ存在し、次の瞬間には過去に移り去っていく。ものごとが存在するのはわずか一刹那の間のみであり、常にものごとは変化し続けると考えることが刹那滅の思想であり、この思想は無常を合理的に説明しようと試みたものであろう。『大智度論』四三では、無常に二種を説き、一つは上述の刹那滅であり、これは念念滅あるいは念念無常と呼ばれる。二つ目は「相続法の壊するが故に名づけて無常となす」(正蔵二五・三七二中)というもので、これは人の命が永遠に続かないように、長い時間の中にみられる変化のことであり、一期無常と呼ばれる。日本では、仏教を通して受容した無常観念が、文化の形成に大きな影響を与えた。


【参考】平川彰『法と縁起』(『平川彰著作集』一、春秋社、一九八八)、『無常』(『岩波講座日本文学と仏教』四、岩波書店、一九九四)


【参照項目】➡四法印


【執筆者:石田一裕】