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正如房

提供: 新纂浄土宗大辞典

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しょうにょぼう/正如房

一二世紀後半頃、生没年不明。法然への帰依者で、法然の「正如房へつかわす御文」の宛て人として知られる。なお「正如房」という表記は『和語灯録』によるものであり、『西方指南抄』では「しやう如はう」、『四十八巻伝』一九では「聖如房」と記される。『四十八巻伝』に「尼聖如房」と記されていること、消息から知られるように尼女房たちを付き従えていること、消息中に強い尊敬の念を表す「(せさ)せおはします」という二重敬語がしばしば見られることなどから、女性でしかも相当に身分の高い者であると推測される。ただし、それが具体的に誰を指すかは不明であったが、小川龍彦により正如房式子しきし内親王(「しょくし」とも読む)であるという説が提示された。これは『賀茂斎院記』に記された式子内親王出家名「承如法」が「正如房」と読みを同じくすることを根拠としている。式子内親王(一一四九—一二〇一)とは後白河法皇の第三皇女で、一〇代の一〇年ほどを斎王として過ごし、その後、数々の和歌を詠んで、歌人として名をなした女性。特に忍ぶ恋の歌で有名で、その歌は「百人一首」や『新古今和歌集』にも所収されている。なお、この正如房式子内親王とみる説については、式子内親王ほどの有名人なら法然伝に登場しても不思議でないのに、一切その名が見られず、また消息からすると正如房は熱心かつ長年の念仏者ということになるにもかかわらず、式子内親王和歌や事跡に浄土教信仰が見られないといった疑点があるものの、一般的にはかなり受け入れられているといえる。


【参考】小川龍彦『新定法然上人絵伝』(理想社、一九五四)、岸信宏「聖如房に就て」(『仏教文化研究』五、一九五五)


【参照項目】➡正如房へつかわす御文


【執筆者:安達俊英】