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大雲

提供: 新纂浄土宗大辞典

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だいうん/大雲

文化一四年(一八一七)—明治九年(一八七六)二月一日。興蓮社法誉仁阿。山城国の人。洛東西光律寺の義聞のもとで出家し、義寛と名乗る。修学すること幾年にわたり、遂には宗義の秘奥を得た。その後、増上寺への遊学を経て、太田大光院の大休に師事し、名を大雲と改める。開国前夜、仏教批判を行った徳川斉昭の著書『明訓一斑抄』に対して、護法の立場から『無名抄』を著した。慶応三年(一八六七)、院家に列して無量覚院と称した。音義にも通じており、大雲が「浄土三部経」などに施した訓点は大雲点と呼ばれ、宗門で重きをなしている。


【資料】『浄土宗経論章疏録』下、『略伝集』(浄全一八)


【参考】水谷真成『大雲校訂本浄土三部妙典解説』(同朋舎出版、一九八二)


【参照項目】➡大雲点


【執筆者:加藤弘孝】