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写経

提供: 新纂浄土宗大辞典

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しゃきょう/写経

毛筆などで経文を書き写すことと、また書写された仏典(経・律・論)をいう。仏典の伝弘でんぐはインドにおいては、『高僧法顕伝』に「北天竺諸国、皆師々口伝して、本写すべきものなし」(正蔵五一・八六四中)とあるように、口誦によって伝承されてきたが、貝葉経などが登場して「耳で覚える経典」(口誦)から「目で読む経典」(文字)へと変化した。中国では伝来した仏典を漢訳する。このときに浄写されたものが仏教の盛行とともに広く転写され、歴代の朝廷も写経に力を尽くした。日本では、天武天皇二年(六七三)に川原寺かわらでら(現・奈良県明日香村弘福寺ぐふくじ)で一切経を書写したという『日本書紀』二九の記事がある。持統天皇八年(六九四)に『金光明経』一〇〇部を諸国へ送付したとあり(『扶桑略記』五)、写経が盛行していたことが示されている。平安時代以降、天皇・上皇・貴族の間では通常の写経のほかに、漸写ぜんしゃ経(多日にわたって書写する)、頓写とんしゃ経(巻数の多い経典を写経する人が分担しあって定めた時間内に書写する)、一筆経(一人で大部の経を書写する)、一品経いっぽんぎょう(多人数で『法華経』などを一品ずつ書写する)、一巻経(一組の経典を一巻ずつ書写する)、血字経(指を刺して血を出して、その血を混ぜた墨で書写する)などの工夫した書写法があった。また如法経にょほうきょうは本来一定の法則によって写経することであるが、末法思想の影響により書写した『法華経』を経筒に入れて埋めることが流行し、埋められた写経(埋納経)を如法経と称するようになった。さらに浄土思想に基づいて写経荘厳に意を用いるようになり、そうした装飾経の中には平家納経のように善美をつくす作善の顕著な例がある。なお写経の料紙には、素紙(黄檗きはだで染めた紙)、荼毘だび紙(香木を漉き込んだ紙)、紫紙しし、紺紙または色紙に書写したものがある。文字色には、紫紙金罫金字の紫紙しし金字経、一行ごとに金字と銀字を交書する金銀字経、本文は銀字であるが仏・菩薩・僧名を金泥で書写した金銀字経がある。法然は『浄土三部経如法経次第』によって三部経写経を制定した。また一行一人経という一人が一行一七字詰で写経する形式のものに大阪一心寺蔵の「一行一筆阿弥陀経」があり、法然の直筆と伝えられる。写経の形式である一行一七字の字数については、陰陽道、『維摩経』の所説、道教などに由来するとする説がある。


【参考】大山仁快編『写経』(「日本の美術」一五六、至文堂、一九七九)、頼富本宏・赤尾栄慶『写経の鑑賞基礎知識』(至文堂、一九九四)、『写経と摺経』(神奈川県立金沢文庫、一九九五)


【参照項目】➡一行一筆阿弥陀経・般若心経一筆経一品経如法経


【執筆者:西城宗隆】