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共生 (きょうせい)

提供: 新纂浄土宗大辞典

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きょうせい/共生

浄土宗教学の近代化を図った椎尾弁匡しいおべんきょう信仰運動の思想理念であり、主義主張の名称。ぐしょう、ともいきとも読む。総願偈の出典は『往生要集』上末(正蔵八四・四九上)であり、「共生極楽仏道(共に極楽に生じて仏道を成ぜん)」の「共生」は「ぐしょう」と発音する。椎尾の講説した『正伝法』第一輯(大本山増上寺、一九六三)には善導の『六時礼讃』にある「願共諸衆生の共と、往生安楽国の生と一つにしたところが共生ぐしょうであり共生きょうせい」(一六五頁)であるという。『岩波哲学・思想事典』の「共生」の項(井上達夫執筆)には、「この言葉は生態学では寄生の対概念として用いられるが、現代日本の思想界では〈人間と自然共生〉、〈多民族、多文化の共生〉、〈障害者との共生〉、〈男女の共生〉など種々様々な文脈で使われ…、調和や一体性の幻想が崩壊し、新たな共存枠組を模索する問題意識が根底にある…」(三四三頁)という。ただしこの項では、仏教思想ならびに日本の仏教的伝統にある共生の概念には触れていない。この語に最も早く宗教哲学的な意味を与えたのは椎尾で、その思想は仏教縁起の立場を基礎にしている。すなわち、すべてのものは他と関係し合って生起し、存在しており、個は全と関係すると捉え「この一人の全宇宙に拡がるごとく、何人も一切衆生によりて共生す」(『椎尾弁匡選集』二・三二五~六頁)と説示している。


【参考】前田恵学「椎尾弁匡師と共生の思想」(印仏研究四五—二、一九九七)、大南龍昇「椎尾弁匡師と共生浄土」(日仏年報六四、一九九八)


【参照項目】➡椎尾弁匡共生会共生 (ともいき)


【執筆者:大南龍昇】