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三宝院

提供: 新纂浄土宗大辞典

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さんぼういん/三宝院

栃木県足利市通。供養清水寺。栃木教区№二。中世に足利氏の帰依をうけた寺。延応元年(一二三九)舜智によって開創されたという。その後、数回の火災にあったが、嘉永五年(一八五二)勇勤のときに再建した。歴代住職の中には汲誉重山のように法然の旧跡を訪ねて四国に赴き、永禄年間(一五五八—一五七〇)に塩飽しあく島に来迎寺を中興し、天正一六年(一五八八)宇足津(香川県綾歌郡宇多津町)の浄泉寺開山した者もいた。


【資料】『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)、『新田大光院志』(浄全一九)


【参考】足利市編『足利市史』(足利市、一九二八)


【執筆者:𠮷水成正】


京都市伏見区醍醐にある真言宗醍醐派総本山醍醐寺の子院。永久三年(一一一五)、醍醐寺一四世勝覚により創建された。本院は、醍醐寺五門跡三宝院・報恩院・理性院・金剛王院・無量寿院)の中でも、室町時代以降、歴代院主が醍醐寺座主となることが通例となっており、中心的性格を有していることが知られる。応仁・文明の乱で伽藍の興廃著しかったが、八〇世座主義演は、豊臣秀吉の信頼厚く、その支援により、観楼(醍醐の花見)に際して伽藍が復興された。桃山文化の粋を集めた唐門と表書院は国宝に指定されている。また、快慶作の本尊弥勒菩薩像は国重要文化財指定。この義演の筆になる写本群の中から、大正六年(一九一七)に『法然上人伝記』(『醍醐本』)が発見され、そこに説かれる事項の固有性から古態を示す法然伝として重要視されている。


【参考】永村真『醍醐寺の歴史と文化財』(勉誠出版、二〇一一)、伊藤真昭「醍醐本『法然上人伝記』の成立と伝来について」(『仏教文化研究』五三、二〇〇九)


【執筆者:東海林良昌】