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龍樹

提供: 新纂浄土宗大辞典

りゅうじゅ/龍樹

一五〇—二五〇頃、南インド出身の初期大乗仏教の論師。インドの原名はⓈNāgārjuna、龍猛りゅうみょうとも訳される。生涯の詳細は不明だが鳩摩羅什訳として伝わる『龍樹菩薩伝』では、南インドのバラモンの出身で、ヴェーダや天文地理に明るく、部派仏教の教理を学習し大龍菩薩の導きで大乗仏典の奥義を極めたという。主著である『中論頌』をはじめ二〇以上の著書を伝える。『中論頌』の冒頭の帰敬偈では、「八不はっぷの偈」で表現される縁起の教えを釈尊の中心思想としてとらえ、「空、仮、中」の論理を展開。後に多くの注釈書がつくられ、中観派の祖に位置づけられる。浄土教関係の著書に、『大品般若経』の注釈書の『大智度論』一〇〇巻と『十地経』の注釈書の『十住毘婆沙論』一七巻がある。『大智度論』は法蔵説話にもとづく『無量寿経』の存在を認識しながら『般舟三昧経』をより重視する。『十住毘婆沙論』の「易行品」は、信の方便により十方三世阿弥陀仏を含む諸仏諸菩薩憶念称名、恭敬、礼拝して速やかに発心不退転を得る易行を説く。中国の曇鸞の『往生論註』ではインドにおける浄土教の典拠として「易行品」を引用する。そこでは阿弥陀一仏を念仏の対象とし、往生後に不退転を得ると解釈し、後世に影響をおよぼす。菩提流支訳の『入楞伽にゅうりょうが経』九は、有無の見を破して歓喜地を証得し安楽国に往生した龍樹が説かれる。その翻訳者の菩提流支の影響で曇鸞浄土教回心したといわれ、彼の『讃阿弥陀仏偈』では安楽国に往生した龍樹に「南無慈悲龍樹尊、至心帰命頭面礼」と表明している。中国では『中論頌』『十二門論』、そして提婆だいばの『百論』を三論と称し、また『大智度論』を加えた三論、四論の学派が成立する。鎌倉時代の凝然の『源流章』では、『起信論』の馬鳴めみょう、『十住毘婆沙論』の龍樹、『往生論』の世親の三人を、インドを代表する浄土教祖師とする。


【参考】中村元『龍樹』(講談社学術文庫、二〇〇二)、武内紹晃ほか『龍樹 世親 チベットの浄土教 慧遠』(『浄土仏教の思想』三、講談社、一九九三)


【参照項目】➡十住毘婆沙論十二礼大智度論


【執筆者:小澤憲珠】