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静遍

提供: 新纂浄土宗大辞典

じょうへん/静遍

仁安元年(一一六六)—貞応三年(一二二四)四月二〇日。平頼盛の子息で大納言阿闍梨、大納言僧都とも呼ばれた。東密の名匠。文治四年(一一八八)に醍醐寺の勝賢、元久二年(一二〇四)に仁和寺仁隆より小野・広沢両流の付法を受け、元久二年(一二〇四)には権律師に任ぜられる。建永元年(一二〇六)に笠置かさぎ貞慶のもとに遁世する。建暦二年(一二一二)頃より後鳥羽院の祈禱法会に参仕し、建保五年(一二一七)には権大僧都に任ぜられるが翌年再び遁世する。専修念仏とつながりを持ち始めるのは二度目の遁世の頃であり、心円と号して専修念仏帰依した。仁和寺法然未見の『般舟讃』を発見し、『続選択文義要鈔』を撰述して『選択集』顕彰につとめたが、その内容は諸行往生を容認し、多念的な念仏に立脚しており、覚鑁かくばんによる真言念仏の影響下にある。二度目の遁世の後は嵯峨清凉寺釈迦堂の復興、高野山奥院の復興にも従事し、道範ら高野山学侶に真言教学を講述するなど幅広い活躍がみえた。弟子に道範、実賢がいる。著作には『秘宗文義要鈔』『別異弘願性戒鈔』があり、仏身論では理知事三点説を提唱した。禅林寺蔵の「山越阿弥陀如来図」は静遍の臨終仏と伝えられている。


【資料】『明義進行集』二


【参考】菊地勇次郎『源空とその門下』(法蔵館、一九八五)、石田充之『法然上人門下の浄土教学の研究』下(大東出版社、一九七九)、伊藤茂樹「静遍の宗教活動」(印仏研究五七—二、二〇〇九)


【参照項目】➡続選択文義要鈔明義進行集般舟讃


【執筆者:伊藤茂樹】