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隆尭

提供: 新纂浄土宗大辞典

りゅうぎょう/隆尭

応安二年(一三六九)一月二五日—宝徳元年(一四四九)一二月一二日。浄厳房。一条派の発展に寄与した近江の僧。金勝こんぜ阿弥陀寺開山。近江国河辺かわづら郷(滋賀県栗東市)佐々木義成の長男。永和三年(一三七七)比叡山出家法印となるが、応永一一年(一四〇四)向阿証賢の『三部仮名鈔』に感銘、名利を厭い、同国金勝こんぜ山金勝寺域の峰の浄厳坊に遁世した。同二〇年、金勝寺が女人禁制のため、山麓の東谷(東坂)にも女人済度のために草庵を結んだ。法然聖光然空向阿などの法語を抄出し、念仏信仰を弘めるが、教化、述作などの多くは谷の草庵でなされた。四〇代後半から六〇代前半にいたる執筆活動は、著作三部、書写本一〇点が現に遺されている。生涯の指針とした『三部仮名鈔』は同二六年、また法然向阿証賢念仏に関する法語は『念仏安心大要』として同三〇年に開版した。庶民勧化の著書として『称名念仏奇特現証集』(上巻応永二七年、下巻永享三年)、『十王讃歎修善抄』(永享五年)があり、念仏の殊勝をのべている。また念仏者の臨終の手引きとして重視していた『看病用心鈔十楽』(応永二〇年)が書写されている。墓塔は金勝山の山腹にある。


【参考】玉山成元「隆尭の著書と書写本について」(『三康文化研究所年報』四・五、一九七三)、伊藤真徹「浄土宗と隆尭法師」(『日本浄土教文化史研究』隆文館、一九七五)、湯谷祐三「金勝山浄厳房隆尭法印『称名念仏奇特集』の解題と翻刻」(『同朋大学仏教文化研究所紀要』一九、二〇〇〇)、眞柄和人「『念仏安心大要』とその引用法語」(『藤吉慈海喜寿記念 仏教学・浄土学論集』文化書院、一九九二)


【執筆者:伊藤唯眞】