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「阿毘達磨大毘婆沙論」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

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=あびだつまだいびばしゃろん/阿毘達磨大毘婆沙論=
 
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二〇〇巻。五百大[[阿羅漢]]等造。[[玄奘]]訳。『大[[毘婆沙]]論』や『[[婆沙論]]』ともいう。『[[阿毘達磨]]<ruby>発智論<rt>ほっちろん</rt></ruby>』(『発智論』と略称される)の注釈書であり、注釈を通して説一切有部の教理を網羅的に説示する[[阿毘達磨]]論書。[[梵語]]写本は断片が発見されているのみであるが、漢訳の名称から[[梵語]]の題名はⓈabhidharma-mahāvibhāṣa-śāstraと想定されている。また異訳として『阿毘曇[[毘婆沙]]論』と『鞞[[婆沙論]]』があるが、『大[[毘婆沙]]論』と比較すると、一部分の漢訳と指摘することができる。本書は序に始まり、雑蘊、結蘊、智蘊、業蘊、大種蘊、根蘊、定蘊、見蘊の八つの蘊で構成される(ここでの蘊は章の意)。『発智論』を、説一切有部をはじめとする様々な部派の主張、また有部内の異説を紹介しつつ註釈し、またしばしば注釈から離れて独自の学説を展開するのが本書の特徴である。
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二〇〇巻。五百大[[阿羅漢]]等造。[[玄奘]] 訳。『大[[毘婆沙]]論』や『[[婆沙論]]』ともいう。『[[阿毘達磨]]<ruby>発智論<rt>ほっちろん</rt></ruby>』(『発智論』と略称される)の注釈書であり、注釈を通して説一切有部の教理を網羅的に説示する[[阿毘達磨]]論書。[[梵語]]写本は断片が発見されているのみであるが、漢訳の名称から[[梵語]]の題名はⓈabhidharma-mahāvibhāṣa-śāstraと想定されている。また異訳として『阿毘曇[[毘婆沙]]論』と『鞞[[婆沙論]]』があるが、『大[[毘婆沙]]論』と比較すると、一部分の漢訳と指摘することができる。本書は序に始まり、雑蘊、結蘊、智蘊、業蘊、大種蘊、根蘊、定蘊、見蘊の八つの蘊で構成される(ここでの蘊は章の意)。『発智論』を、説一切有部をはじめとする様々な部派の主張、また有部内の異説を紹介しつつ註釈し、またしばしば注釈から離れて独自の学説を展開するのが本書の特徴である。
 
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【参考】渡辺楳雄『有部阿毘達磨論の研究』(臨川書店、一九五四)
 
【参考】渡辺楳雄『有部阿毘達磨論の研究』(臨川書店、一九五四)

2022年5月12日 (木) 00:02時点における版

あびだつまだいびばしゃろん/阿毘達磨大毘婆沙論

二〇〇巻。五百大阿羅漢等造。玄奘 訳。『大毘婆沙論』や『婆沙論』ともいう。『阿毘達磨発智論ほっちろん』(『発智論』と略称される)の注釈書であり、注釈を通して説一切有部の教理を網羅的に説示する阿毘達磨論書。梵語写本は断片が発見されているのみであるが、漢訳の名称から梵語の題名はⓈabhidharma-mahāvibhāṣa-śāstraと想定されている。また異訳として『阿毘曇毘婆沙論』と『鞞婆沙論』があるが、『大毘婆沙論』と比較すると、一部分の漢訳と指摘することができる。本書は序に始まり、雑蘊、結蘊、智蘊、業蘊、大種蘊、根蘊、定蘊、見蘊の八つの蘊で構成される(ここでの蘊は章の意)。『発智論』を、説一切有部をはじめとする様々な部派の主張、また有部内の異説を紹介しつつ註釈し、またしばしば注釈から離れて独自の学説を展開するのが本書の特徴である。


【参考】渡辺楳雄『有部阿毘達磨論の研究』(臨川書店、一九五四)


【参照項目】➡アビダルマ


【執筆者:編集部】