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阿弥陀懺法

提供: 新纂浄土宗大辞典

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あみだせんぼう/阿弥陀懺法

阿弥陀仏十方諸仏を奉請敬礼し、往生浄土を念じて懺悔する法会。略して弥陀懺法ともいう。宋代の遵式じゅんしき撰の『往生浄土懺願儀』を抄略した勤行式で、このうち第四焼香散華・第五礼請法・第七礼仏法・第八懺願法・第九旋遶誦経法より構成されている。同書をほぼ踏襲しているが、第八懺願法の発願の段のみは『観経』に基づいている。第八懺願法よりは夕座ゆうざとする二座だて法会で、「法華ほっけ懺法」と同じ構成であり、すべて漢音で唱えている。この法会てん坐具(展具・収具)、「願此香煙雲」の文の「ノム」節、仏身観文の誦経行道、「一切恭敬 自帰依仏」などの「一」「依」を発声しない読誦法に特色がある。長西の『長西録』には、円仁の『阿弥陀懺法』一巻と法然の『阿弥陀経懺法』一巻があったと伝えている(仏全一・三四四上、三四八下)が、現存していない。『四十八巻伝』一五には、慈円が「慈覚大師の古風を慕い、西方懺法をぞ行われける」(聖典六・一六六)とある。現存の青蓮院本『西方懺悔法』、曼殊院本『西方懺法』は、『阿弥陀懺法』の異類型の類本である(『初期叡山浄土教の研究』一九三)。正徳五年(一七一五)、増上寺では東照宮一〇〇年御遠忌に「略懺法」(三宝礼と第五礼請法の七礼のみ)が行われた。天保五年(一八三四)、知恩院門跡尊超法親王弥陀懺法の再興を発願して「懺法法要式」を修している(『月番日鑑』〔月八・八五〕)。『曼陀羅堂規定書』(安政六年〔一八五九〕)には、増上寺山内曼陀羅堂にて慎徳院(徳川家慶)の菩提のために毎春「阿弥陀懺法」を修行すべきであると記している(『規則類聚』六、『増上寺史料集』四・三二二)。『法要集』(明治四三年版)には、「阿弥陀懺法」の儀軌音訣を掲載し、跋文に「仁和にんな霊場密唄の精式なり。古来縁山に於て之を奉行し、尊超法親王最も之を賞愛し給い、自ら句頭の役に当りて屢々しばしば之を厳修せられたり」とある。『礼讃声明音譜』(大正一三年〔一九二四〕)には「阿弥陀懺法」等の声明を五線譜に表して音声の統一を計り、『声明並特殊法要集』(昭和一六年〔一九四一〕)には阿弥陀懺法(夕座)の墨譜等を掲載している。増上寺開山酉誉上人五五〇年遠忌(平成元年〔一九八九〕)には、昭和一六年版の夕座をさらに抄略した『阿弥陀懺法』を制定し、以後御忌大会で厳修している。


【参考】『浄土宗法要儀式大観』(名著普及会、一九八七、二・一四二)、奈良弘元『初期叡山浄土教の研究』(春秋社、二〇〇二)、佐藤哲英「西方懺悔法に関する研究」(『龍谷大学論集』三三八、一九五一)


【参照項目】➡往生浄土懺願儀


【執筆者:西城宗隆】