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釈浄土群疑論 - 版の履歴
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<td colspan='1' style="background-color: white; color:black; text-align: center;">2018年3月30日 (金) 06:26時点における版</td>
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Seishimaru
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2018年3月30日 (金) 06:26に192.168.11.48による
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<p><b>新規ページ</b></p><div>=しゃくじょうどぐんぎろん/釈浄土群疑論=<br />
七巻。『[[群疑論]]』『決疑論』ともいう。[[懐感]]撰。[[長安]]千福寺に住し、法相[[唯識]]の学僧であった[[懐感]]が、[[善導]]の[[本願]][[念仏]]の教えに[[帰依]]して実践体得した自らの体験をもとに、当時流布していた[[摂論宗]]や[[三階教]]、[[玄奘]]請来の[[唯識]]学に関連するもの、あるいは[[念仏]][[信仰]]自体における内部の疑問など、多くの問題を取り上げ、一二科一一六章に亘ってその疑問を[[決択]]した書。<ruby>孟銑<rt>もうせん</rt></ruby>の序文によると[[懐感]]は本書の完成を見ずに没したため、同門の<ruby>[[懐惲]]<rt>えうん</rt></ruby>が完成させた。本書の標目を一一六章とする見解は、[[道忠]]の『[[釈浄土群疑論探要記]]』に基づく。[[道忠]]以前には、『[[群疑論]]』の本文に沿って数え、本書の標目を一二三章とする見方もある。天平勝宝五年(七五三)には既に日本に請来されており、[[源信]]の『[[往生要集]]』にもしばしば引用される。[[法然]]は『[[往生要集詮要]]』(昭法全八)で専雑[[二修の得失]]を述べるに当たり、[[善導]]の『[[往生礼讃]]』前序の文と共に本書巻四の、「[[善導]][[禅師]]諸の[[衆生]]を勧めて[[西方浄土]]の業を修すれば、[[四修]]墜ることなく、[[三業]]<ruby>雑<rt>まじ</rt></ruby>ることなし」([http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J10_0049 浄全一〇・四九下]/[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V47.0050c.html 正蔵四七・五〇下])という文を引いて[[善導]]の説を助証している。また『[[無量寿経釈]]』(昭法全七四)および『[[選択集]]』三(聖典三・一二二/昭法全三二一)では本書巻七の「大念とは大声に仏を称するなり、小念とは小声に仏を称するなり」([http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J06_0106 浄全六・一〇六上]/[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V47.0076c.html 正蔵四七・七六下])という一文、『[[法然]][[上人]]御説[[法事]]』には本書巻四の兜率と[[西方]]との十五同の説に注目するなど、広く引用されている。[[法然]]が本書に注目したのは、[[源信]]の『[[往生要集]]』に導かれて[[善導]]説の助証として用いたことによる。しかし、『[[選択集]]』一六の「師資の釈その相違甚だ多し」(聖典三・一八六/昭法全三四八)というように、[[浄土宗]]義の究極の点では明確に区別される。<br />
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【所収】浄全六、正蔵四七<br />
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【参考】金子寛哉『「釈浄土群疑論」の研究』(大正大学出版会、二〇〇六)<br />
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【執筆者:金子寛哉】</div>
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