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覚如

提供: 新纂浄土宗大辞典

かくにょ/覚如

文永七年(一二七〇)一二月二八日—観応二年(一三五一)一月一九日。幼名は光仙、いみなは宗昭。親鸞の墓所であった大谷廟堂を寺院化し、今日の本願寺教団の礎を築いた。親鸞の孫覚恵の長男として誕生。幼少より諸宗を兼学し、一八歳のとき、如信や唯円から真宗義を授与され、のち阿日坊彰空に浄土宗義を学ぶ。大谷廟堂の権利をめぐって叔父唯善と争うが、正安四年(一三〇二)留守職に就任。一時長男存覚に職を譲るも、教団運営や布教方法などをめぐって対立し義絶。再度留守職に就任した。当時、鎮西義西山義が隆盛を極める中、親鸞教義の特色を「信心正因称名報恩」にあるとし、『口伝鈔』『改邪鈔』を著して三代伝持に基づき本願寺中心主義を主張、当時「名帳絵系図」を使い隆盛していた仏光寺了源を特に批判した。その他の著書に『本願寺聖人親鸞伝絵』『執持鈔』や、法然伝をまとめた『古徳伝』などがあり、亡失した『閑窓集』という和歌集もあった。


【資料】『慕帰絵』『最須敬重絵詞』(共に真聖全三)


【参考】重松明久『覚如』(『人物叢書』一二三、吉川弘文館、一九六四)


【執筆者:藤田真隆】