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提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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=さいにん/西忍=
 
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一二~[[三世]]紀頃、生没年不明。<ruby>諱<rt>いみな</rt></ruby>は<ruby>高階保遠<rt>たかしなのやすとお</rt></ruby>、駿河権守。<ruby>[[塩飽]]<rt>しあく</rt></ruby>(香川県丸亀市)の地頭(『[[四十八巻伝]]』三五)。西仁とも。建永二年(一二〇七)、[[法然]]が讃岐に流罪のとき、入信したとされる武士。[[法然]]が流罪の途次、[[塩飽]]島に一泊したとき、その館に招いたのが奇縁で、[[法然]]に深く[[帰依]]し[[出家]]したという。高階氏は、文治二年(一一八六)宗家の泰経が伊豆に配流となっているが(『[[吾妻鏡]]』正・七)、以降の一族に保遠(あるいは泰遠)は確認できない。[[塩飽]]の伝説にもそのような事実は存在しない。ただし、『[[三長記]]』によれば、この島は[[九条兼実]]の子良経の所領であったとある。
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西仁とも。一二~[[三世]]紀頃、生没年不明。<ruby>諱<rt>いみな</rt></ruby>は<ruby>高階保遠<rt>たかしなのやすとお</rt></ruby>、駿河権守。<ruby>[[塩飽]]<rt>しあく</rt></ruby>(香川県丸亀市)の地頭(『[[四十八巻伝]]』三五)。建永二年(一二〇七)、[[法然]]が讃岐に流罪のとき、入信したとされる武士。[[法然]]が流罪の途次、[[塩飽]]島に一泊したとき、その館に招いたのが奇縁で、[[法然]]に深く[[帰依]]し[[出家]]したという。高階氏は、文治二年(一一八六)宗家の泰経が伊豆に配流となっているが(『[[吾妻鏡]]』正・七)、以降の一族に保遠(あるいは泰遠)は確認できない。[[塩飽]]の伝説にもそのような事実は存在しない。ただし、『[[三長記]]』によれば、この島は[[九条兼実]]の子良経の所領であったとある。
 
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【資料】『三長記』、『吾妻鏡』、『尊卑分脈』、『系図纂要』
 
【資料】『三長記』、『吾妻鏡』、『尊卑分脈』、『系図纂要』
 
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【執筆者:小此木輝之】
 
【執筆者:小此木輝之】

2021年11月24日 (水) 07:05時点における最新版

さいにん/西忍

西仁とも。一二~三世紀頃、生没年不明。いみな高階保遠たかしなのやすとお、駿河権守。塩飽しあく(香川県丸亀市)の地頭(『四十八巻伝』三五)。建永二年(一二〇七)、法然が讃岐に流罪のとき、入信したとされる武士。法然が流罪の途次、塩飽島に一泊したとき、その館に招いたのが奇縁で、法然に深く帰依出家したという。高階氏は、文治二年(一一八六)宗家の泰経が伊豆に配流となっているが(『吾妻鏡』正・七)、以降の一族に保遠(あるいは泰遠)は確認できない。塩飽の伝説にもそのような事実は存在しない。ただし、『三長記』によれば、この島は九条兼実の子良経の所領であったとある。


【資料】『三長記』、『吾妻鏡』、『尊卑分脈』、『系図纂要』


【執筆者:小此木輝之】