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薗田太郎成家

提供: 新纂浄土宗大辞典

そのだのたろうなりいえ/薗田太郎成家

承安四年(一一七四)—宝治二年(一二四八)九月一六日。法名智明。小倉上人ともいう。藤原流、俵藤太秀郷の末裔で曽祖父は七郎成実。もと上野こうずけ国の御家人で、大番勤仕中で上洛中の正治二年(一二〇〇)に法然教化を受け出家法然のもとに六ヶ年常随し、元久二年(一二〇五)に上野に帰国した。帰国後は家子郎従二十余人を教化し、酒長すなが御厨みくりや小倉村に庵室をむすび念仏を生涯の業とした。この室にのぞむ道俗尊卑の者で念仏しない者はいなかったと伝えられる。群馬県桐生市の崇禅寺には元久年間(一二〇四—一二〇六)に智明が法然から与えられたという阿弥陀如来像が安置され、付近の園田久七宅裏には智明の墓がある。


【資料】『尊卑分脈』(『国史大系』五九)、『法水分流記』(野村恒道・福田行慈編『法然教団系譜選』青史出版、二〇〇四)、『四十八巻伝』二六(聖典六)、『翼賛』二六、五五(浄全一六)


【参考】小此木輝之「浄土宗の展開と関東武士」(『中世寺院と関東武士』青史出版、二〇〇二)


【執筆者:笠島崇信】