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菩提

提供: 新纂浄土宗大辞典

ぼだい/菩提

煩悩の迷いから目覚めたさとりの智慧ちえ。ⓈⓅbodhiの音写語。覚・智・道などと訳す。涅槃ねはんがさとりの状態を表すのに対して、菩提はさとりの内容を表す用語。『大智度論』五三(正蔵二五・四三六中)や『俱舎論』二五(正蔵二九・一三二中)などによれば、菩提には、阿羅漢あらかん声聞しょうもん)の菩提辟支仏びゃくしぶつ独覚どっかく)の菩提、仏の菩提(無上菩提)の三種があるとされる。中でも、仏の菩提は他の二菩提と異なり阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい(Ⓢanuttara-samyak-saṃbodhi)と音写され、無上正等菩提むじょうしょうとうぼだい、無上菩提正覚とうしょうがくなどと訳される。これは、この上なくすぐれ、正しく平等円満である特別の菩提とされる。なお、「菩提」を略して「[ササ丶(要作字)]」と記すことがあるが、カタカナの「サ」を二つ重ねて点を付したように見えることからこれを「ササ点菩提」または「一点菩提」と称している。


【参照項目】➡阿耨多羅三藐三菩提


【執筆者:榎本正明】


さとりに至るための原因としての道、仏道のこと。『無量寿経』上に説かれる歎仏頌の「不如求道」(聖典一・一九/浄全二三・一八)や四誓偈の「必至無上道」「我至成仏道」(共に聖典一・四〇/浄全二三・四六)「志求無上道」(同/浄全二三・四八)と説かれる「道」の原語はⓈbodhiである。『無量寿経』の他の多くの箇所ではⓈbodhiを「覚」と漢訳しているので、これらの箇所ではさとりに至る途上の在り方を意味している。『大乗義章』一八では、菩提を「菩提胡語こご(中央アジア・インドの言葉の意味)にして、此には翻じて道と名く。果徳円通かとくえんずうする、之を名けて道と為す」(正蔵四四・八二八中)とし、さとりの功徳くどくはあまねくゆきわたり、さとりに至る途上にも存するので道となすと解釈する。


【執筆者:榎本正明】