操作

般舟讃

提供: 新纂浄土宗大辞典

はんじゅさん/般舟讃

一巻。善導の著作五部九巻の一。具名を『依観経等明般舟三昧行道往生讃』という。成立年不詳。浄土宗では行儀分(儀礼書)に分類されている。前序と正讃と後序からなり、『観経』にもとづいて般舟三昧行道法と仏・菩薩浄土をたたえる讃偈を説く。まず慙愧ざんぎ清浄にして自他の善根随喜し、依正二報讃歎し、往生を願いその讃偈を説く。これは七日・九〇日と期日を定めて身口意三業清浄無間にする別時儀礼であり、これによって三昧に入り、仏や浄土が現れて心身ともに悦楽となるという。正讃の讃偈はすべて七言からなり、阿弥陀仏とその浄土や、九品における往生相について讃歎する内容である。各偈の奇数句に「願往生」、偶数句に「無量楽」の和声を付しているので、多人数で挙行される儀礼に供していたと考えられる。本書は讃偈だけであって礼拝は伴わず、むしろ身業行道を説いている。各偈が始まる際には「般舟三昧楽」の頭句が置かれるので、その直前または直後に身業礼拝が実際の別時行儀においてなされていた可能性もあるが、あくまでも現行本からは行道讃歎を行うための儀礼書と判断する以外にない。また本書に説かれる各偈はまったくの無韻であって、韻律からくる詩情豊かな音楽性を認めることはできない。それは同じ善導の『往生礼讃』や『法事讃』の礼讃偈とは性格を異にする。それが原因であろうか、中国において本書はその後の伝承を絶ったようであり、敦煌石室に含まれる各種礼讃文においても本書のテキストそのものは確認されていない。善導の著作五部九巻の成立次第定説はないが、少なくとも韻律配慮が施される『往生礼讃』や『法事讃』の成立以前に本書が撰述されたと想定することができよう。この無韻の『般舟讃』の讃偈は『往生論』から継承されてきた前時代的な作風であり、実際の儀礼に不向きであったことは、おそらく善導自身も自覚しえたと考えられる。そこで後に『法事讃』や『往生礼讃偈』の讃偈が有韻に仕立てられていくと考えるのが自然である。日本に舶載請来されたのは、奈良時代の天平二〇年(七四八)以前であったことを、『正倉院文書』の「経律奉請帳」(天平二〇年八月四日)が伝えている。それは造東大寺司の前身である金光明寺造仏所(造仏所)に属す東大寺写経所の借り出しリストに、多数の経律とともに本書が記載されていることで確認できる。なお、法然は生前中に本書を披閲することはかなわなかった。法然滅後の建保五年(一二一七)に禅林寺静遍によって、御室の法金剛院から円行請来の本書が発見されたと言われている。浄土宗勤行や諸儀礼で唱えられる「降魔偈」や「称讃偈」は本書から抜粋された偈文である。


【所収】浄全四、正蔵四七、続蔵一二八


【参考】服部英淳「善導大師の行儀分」(『浄土教思想論』山喜房仏書林、一九七四)、佐藤健「『般舟讃』の研究」(佛教大学善導教学研究会編『善導教学の研究』東洋文化出版、一九八〇)


【参照項目】➡般舟三昧


【執筆者:齊藤隆信】