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縁起 - 版の履歴
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2018-03-30T06:20:30Z
<p>1版 をインポートしました</p>
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<td colspan='1' style="background-color: white; color:black; text-align: center;">2018年3月30日 (金) 06:20時点における版</td>
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</td></tr></table>
Seishimaru
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2018年3月30日 (金) 06:20に192.168.11.48による
2018-03-30T06:20:29Z
<p></p>
<p><b>新規ページ</b></p><div>=えんぎ/縁起=<br />
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==<span style="border: 1px solid;color: white;background-color: black;font-weight: bold;">一</span>==<br />
すべての物事は、<ruby>縁<rt>よ</rt></ruby>って、すなわち、<ruby>相<rt>あい</rt></ruby>関連しあって<ruby>起<rt>おこ</rt></ruby>る、すなわち、発生しているという意味。[[梵語]]では、「縁」Ⓢpratītyaは「相互に関連しあって」の意、「起」Ⓢsamutpādaは「発生・生起すること」の意。この[[縁起]]は、[[仏教]]初期の時代と、[[後世]]の発達した[[教義]]とでは、大きく意味・内容が[[変化]]している。まず、初期では『雑[[阿含]]経』一二に見られるように、<ruby>十二[[縁起]]<rt>じゅうにえんぎ</rt></ruby>([http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2018/V02.0084b.html 正蔵二・八四中]、同八五上)を説く。その内容は、以下のようである。心に、①<ruby>[[無明]]<rt>むみょう</rt></ruby>([[無知]])というものがあって、②<ruby>行<rt>ぎょう</rt></ruby>(その心が動き)、③<ruby>識<rt>しき</rt></ruby>([[意識]]が活動し)、④<ruby>名色<rt>みょうしき</rt></ruby>(心が[[見聞]]きするものに、名と形がともない)、それらを、⑤<ruby>六入<rt>ろくにゅう</rt></ruby>(<ruby>眼<rt>げん</rt></ruby>・<ruby>耳<rt>に</rt></ruby>・<ruby>鼻<rt>び</rt></ruby>・<ruby>舌<rt>ぜつ</rt></ruby>・<ruby>身<rt>しん</rt></ruby>・<ruby>意<rt>い</rt></ruby>の感覚器官)によって、⑥<ruby>触<rt>そく</rt></ruby>(対象に触れ感じ取り)、⑦<ruby>受<rt>じゅ</rt></ruby>(感受し)、それぞれに⑧<ruby>愛<rt>あい</rt></ruby>(Ⓢtṛṣṇā愛欲〔[[渇愛]]〕)が生じ、⑨<ruby>取<rt>しゅ</rt></ruby>(Ⓢupādānā〔[[執着]]〕)ができ、⑩<ruby>有<rt>う</rt></ruby>(生存)があり、⑪<ruby>生<rt>しょう</rt></ruby>(Ⓢjāti)、人生が展開し、やがて⑫<ruby>老死<rt>ろうし</rt></ruby>(Ⓢjarā-maraṇa)に至る、と迷いが順次に人生を展開していって、やがて老死に至ると説明する。これは発生の<ruby>順観<rt>じゅんかん</rt></ruby>という。逆に、その故に、老死を超えるには、[[無明]]を滅すれば、行が滅し、識、名色、六入と逆に滅していって、ついには老死もなくなる、とする。この[[修行]]努力の過程を<ruby>[[逆観]]<rt>ぎゃくかん</rt></ruby>という。こうした[[縁起]]観は、人の心と生命が、無の存在から[[次第]]に感覚器官の活動により生命となって人生が展開、やがては、老、死に至る人間の生存を説明し、同時に、そのような[[煩悩]]の動きに迷わされぬことを示している。<br />
<br />
後代になると、迷いの[[世界]]の説明より、[[世界]]と心の問題として、思想的、哲学的に深く説明されるようになり、種々の[[縁起]]説が展開し、日本では民衆、社会に大きな影響を与え、[[縁起]]の心と一々自覚されてはいないが、現在に至っている。その中、[[華厳宗]]で説く[[法界]][[縁起]]は、一宗にとどまらず、今日に至るまで、広く影響を与えている。[[法界]][[縁起]]は、四種に示されている。①事[[法界]](事物観)、②理[[法界]](真理の立場で観る)、③<ruby>理事無礙[[法界]]<rt>りじむげほうかい</rt></ruby>(真理も事物も事・理[[不二]]の真理と観る)、④<ruby>事事無礙[[法界]]<rt>じじむげほうかい</rt></ruby>(諦観すれば事物、それぞれ、そのままで<ruby>相即<rt>そうそく</rt></ruby>、相互に関連しあうと観る)という見方である。例えば、庭を造るのに、漠然と岩石を運び入れても、ただ、ものが個々に、すなわち、事と事とが置かれてあるだけである。しかし、一定の発想、例えば[[極楽浄土]]の思いをかけて、石組みをし、配置すれば、見る人自ずから、その思いを読み取るであろう。語らぬ石も、自由に、無礙に語ることができるのである。造園の一石一石といえど、作者の発想に対して、無限の[[解釈]]もあり得ることが、[[一即一切]]、一切即一と表現される。[[法界]][[縁起]]も、このように、よく通観、達観するものに悟得される。また[[真言宗]]では、全[[世界]]、全身を、地・水・火・風・空・識の<ruby>六大<rt>ろくだい</rt></ruby>から成り立つ、とする[[縁起]]説がある。ちなみに『[[華厳経]]』は、[[仏教]]が日本に伝来して早々に国家安定の経として受用され、そこに説かれる[[法界]][[縁起]]という構想が、太陽のような仏である<ruby>盧舎那仏<rt>るしゃなぶつ</rt></ruby>(Ⓢvairocana)が国の政治の中央である奈良にあって国全体に[[慈悲]]の[[光明]]を放ち、守り育てるという考えに発展した。[[東大寺]]に盧舎那仏の大仏が安置され、[[法界]][[縁起]]の教えが全国に広められ、国家統治の理念となった。今日、このことを注視する人は少ないが、注視するか否かにかかわらず[[法界]][[縁起]]に基づく統治理念は日本の風土に定着しており、日本の政治、社会生活に対する影響を考慮する必要もあろう。<br />
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【参照項目】➡[[十二因縁]]<br />
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【執筆者:真野龍海】<br />
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==<span style="border: 1px solid;color: white;background-color: black;font-weight: bold;">二</span>==<br />
日本では、寺社・[[仏像]]の造立の由来、[[利益]]や[[功徳]]にまつわる伝説、またはそれらを記した書物のことを[[縁起]]という。宇宙万有・一切[[衆生]]が生成・推移する過程を把握しようとする[[縁起]]理解により、神社仏閣の創生・沿革に関する伝説と[[縁起]]の語とが結びつけられたためと考えられる。[[縁起]]は奈良・平安時代から鎌倉時代にかけて多く現れ、特に鎌倉時代には『<ruby>信貴山<rt>しぎさん</rt></ruby>[[縁起]]』『北野天神[[縁起]]』をはじめとする様々な[[絵巻]]物[[縁起]]が作成された。また、江戸時代以降は「[[縁起]]が良い(悪い)」や「[[縁起]]をかつぐ」など、吉凶の兆しを表す語としても用いられた。<br />
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【参考】桜井徳太郎「縁起の類型と展開」(桜井徳太郎他校注『日本思想大系二〇 寺社縁起』岩波書店、一九七五)、堤邦彦・徳田和夫編『寺社縁起の文化学』(森話社、二〇〇五)<br />
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【執筆者:冨樫進】</div>
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