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祐天寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ゆうてんじ/祐天寺

東京都目黒区中目黒。明顕山善久院。東京教区№三八〇。増上寺三六世祐天入寂の際、念仏道場の建立を遺命し、弟子祐海が享保三年(一七一八)目黒の旧跡善久院を拡張して建立。自ら起立二世となり、祐天の真影(徳川綱吉養女松姫寄進)を本堂に安置し開山と仰ぐ。祐天信仰を寄せた綱吉の養女竹姫をはじめとする大奥の女性たちにより阿弥陀堂(一七二四)・仁王門(一七三五)・梵鐘(一七二九)などが寄進され七堂伽藍を整えた。明治二七年(一八九四)本堂書院などが火災に遭い灰燼に帰すも、旧天英院仏殿を移築して本堂を再建。昭和九年(一九三四)には幼稚園を設置し翌年開園、同時に日曜学校を開設した。幼稚園は戦時中中断し、同二九年境内地に再開。『死霊解脱物語聞書』(一六九〇)から端を発した祐天済度かさね説話が歌舞伎となり、大正一五年(一九二六)累塚が境内に建つ。「木造祐天上人坐像」(都有形文化財)をはじめ文化財・歴史資料を所蔵する。


【資料】「明顕山寺録撮要」(祐天寺研究室編『祐天寺史資料集』一〔上・下〕、祐天寺、二〇〇二)


【執筆者:巖谷勝正】