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提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:35時点における最新版

やぶきけいき/矢吹慶輝

明治一二年(一八七九)二月一三日—昭和一四年(一九三九)六月一〇日。仏蓮社光誉増阿。宗教学者、社会事業家。福島県信夫郡飯坂(現・福島市飯坂町)生まれ。佐藤留七、センの三男(戸籍上は二男)。幼名は朝治。同県桑折こおり浄土宗無能寺住職矢吹良慶について得度矢吹慶輝となり、後年佐藤姓にもどり、再び矢吹と改姓した。明治三五年(一九〇二)浄土宗高等学院を卒業し、第一高等学校を経て、同四二年東京帝国大学文科大学哲学科を首席で卒業した。卒業論文は「阿弥陀仏の研究」。大学院へ進む。同四三年宗教大学教授、大正二年(一九一三)姉崎正治の助手として渡米、のち欧州各国に留学し、欧米の宗教事情調査をはじめ社会事業視察や中央アジア古写経断片の検索をし、同六年帰国。同年宗教大学に日本最初の社会事業研究室が開設され、その主任教授となる。同八年東京帝大講師、同一一年労働児童施設・三輪学院を創設。同年渡欧。翌年「三階教之研究」で文学博士。同一三年東京帝国大学助教授となり、翌年東京市社会局長、その年、『三階教之研究』で帝国学士院恩賜賞を受けた。同一五年大正大学教授となり、同大学を中心に東洋大学、日本女子大学校、法政大学などで宗教学社会事業を講じた。実践的な宗教学社会事業に取り組んだのは、布施行者として知られる颯田本真さったほんしんや師の矢吹良慶の影響によるところが大きい。生涯を通じて住職になることはなかったが、良慶より受けついだ戒律の復興による仏教のたてなおしを願い、社会に対しては社会問題の時代と受けとめ、それを克服するために連帯共同ソリダリティの思想を強調し、「社会的宗教」の必要性を主張した。著書に『阿弥陀仏乃研究』(丙午出版社、一九一一)、『三階教之研究』(岩波書店、一九二七)、『鳴沙余韻解説』(同、一九三三)ほか。


【参考】『大正大学学報』三〇・三一〈矢吹慶輝追悼号〉(一九四〇)、『慶輝道人』(矢吹輝夫刊、一九四一)、芹川博通『社会的仏教の研究』(文化書院、一九八八)、同『仏教と福祉』(『芹川博通著作集』七、北樹出版、二〇〇八)


【執筆者:芹川博通】