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無量寿経

提供: 新纂浄土宗大辞典

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むりょうじゅきょう/無量寿経

二巻。『開元釈教録』二によれば曹魏の嘉平四年(二五二)に康僧鎧洛陽の白馬寺で訳したと伝えられる。ただし、康僧鎧訳出説は種々の観点から史実としては支持されず、仏駄跋陀羅ぶっだばっだら・宝雲の共訳(永初二年〔四二一〕)が最も有力な説。「浄土三部経」の第一。『大経』『双巻経』とも呼ばれる。法然の『和語灯録』所収「三部経釈」に、「『双巻経』にはまず阿弥陀ほとけ四十八願を説く。後に願成就を明かせり」(聖典四・二八三/昭法全二七)とあるように、法蔵菩薩発心本願とその成就、極楽荘厳阿弥陀仏による救いとしての三輩往生などの教説が示されている。

[内容]

本経は、序分正宗分流通分に三分科される。序分では、本経の説処が王舎城近郊の耆闍崛山ぎじゃくっせんであること、会座菩薩八相成道釈尊は明るく光り輝く容姿を示し(五徳瑞現)、阿難がその故を問うという因縁が説かれている。正宗分では、それに対する釈尊の答えが説かれており、正宗分は大きく分けて、①「所行」(法蔵菩薩の過去の願行)、②「所成」(極楽阿弥陀仏。ここまで上巻)、③「所摂」(阿弥陀仏による摂取。下巻)の三段落によって構成されている。①所行では、世自在王仏の下で、阿弥陀仏の前身である国王が出家し、法蔵と名乗ったという出家までの因縁五劫思惟四十八願四誓偈兆載永劫ちょうさいようごう修行などが説かれている。②所成では、法蔵の成仏仏国土の建立が述べられている。すなわち、法蔵菩薩が十劫の昔にすでに成道し、無量寿仏となって西方安楽世界極楽)に現にましますことを説く。以下、阿弥陀仏光明寿命無量であること、極楽のありさまとしての宝樹や宝池、宮殿などのありさま(依正えしょう二報荘厳)を説いて上巻を終える。③所摂では、まず第十八願成就が説かれ、続けて三輩段、讃重偈観世音菩薩と大勢至菩薩について説かれる。その後、三毒五悪段、疑惑を以て往生した者が極楽辺地七宝宮殿に五〇〇年間留め置かれること、多くの仏国土から不退の菩薩往生することが述べられている。以上の正宗分の内容は、「所行」に対し、その成就である「所成」と「所摂」が述べられるという関係になっている。この関係において、阿弥陀仏願行という因によって仏果を感得した酬因感果しゅういんかんかしんであり、したがって報身仏であることが明確に示されている。流通分では、特留此経とくるしきょうと、会座大衆の得益を述べて、結びとなっている。

[流伝と解釈

無量寿経〉の原初形態は西暦一〇〇年頃、クシャーナ王朝支配下の北西インドにおいて成立したと推測される。それ以後、『大智度論』に法蔵説話が紹介され、『十住毘婆沙論』には阿弥陀仏本願が示される。さらに世親には『無量寿経優婆提舎願生偈』(『往生論』)があり、〈無量寿経〉の名を用いる。中国に伝来して以降、一たび『無量寿経』が訳出されるや、曇鸞は『往生論註』を著して易行道を『十住毘婆沙論』の所説に基づいて再定義し、『無量寿経』を中心として浄土教の体系化を計った。他方では浄影寺慧遠、嘉祥寺吉蔵をはじめとする諸宗の学者たちにより、註釈研究と浄土教研究が進められた。道綽善導浄土往生の根拠を『無量寿経』所説の阿弥陀仏本願に求め、阿弥陀仏をその法蔵説話に基づいて「報身仏」と規定するに至った。日本へは、六四〇年に『無量寿経』講説の記録があることから、七世紀の中葉にすでに伝来していたことが知られる。その後、南都・天台の浄土教において研究が進められた。法然浄土宗を開くに至り、「浄土三部経」の一つに選定され、浄土教の根本聖典の一つとして重視されることになる。特に『選択集』に言う「選択」とは、法蔵説話において阿弥陀仏の因位たる法蔵菩薩が二百一十億の諸仏刹土からその精髄を選びとったことを意味するものであり、凡夫往生の根拠としてその第十八願を最重要視する。法然以後、浄土宗はもちろんのこと、法然門下を宗祖とする各宗にあってはそれぞれの立場から「浄土三部経」の一つとして『無量寿経』は尊重されている。浄土宗における本経の解釈には、法然の『無量寿経釈』があるものの、これは法然の領解を示したものであって、逐語釈ではない。聖光良忠には註釈書はないが、それぞれの著作の中で『無量寿経』の解釈について言及される。逐語的注釈書としては道光無量寿経鈔』七巻、聖聡大経直談要註記』、観徹無量寿経合讃』、義山素中)『無量寿経随聞講録』がある。明治以後にはさらに種々の解説書が登場し、特に坪井俊映浄土三部経概説』は、浄土宗の立場からする『無量寿経』の標準的な解釈を示すものとして重用されている。

[諸本]

梵本はⓈSukhāvatī-vyūha(極楽荘厳)の経題を有するものが現存し、ネパール出土の写本は藤田宏達『梵文無量寿経写本ローマ字本集成』三巻(山喜房仏書林、一九九二、九三、九六)によって紹介される。またアフガニスタンのバーミヤンで発見された現存写本の中で最古とされるものがあり、これは六〜七世紀に遡ると推定されている。梵本の刊本は七本あり、①マックス・ミュラー、南条文雄共編②大谷光瑞③荻原雲来④P. L. Vaidy⑤足利惇氏⑥香川孝雄⑦藤田宏達によって校訂がなされている。チベット語訳は、チベット大蔵経カンギュルの宝積部に『大宝積経』第五会として収められている。経題はⓉ’phags pa ’od dpag med kyi bkod pa zhes bya ba theg pa chen po’i mdoとなっている。訳者は、トクパレス写本、デルゲ版、ラサ版などの奧書によると、それぞれジナミトラ、ダーナシーラ、イェシェデとされるが、北京版ではルイゲェンツェンとされる。願文の数は四九。三毒段・五悪段を欠くなど、梵本と同様の特徴を持つ。刊本としては、①河口慧海②「浄土教の総合的研究」研究班(佛教大学総合研究所)によるものがある。この他に、サンスクリット本から訳出されたと考えられるコータン語訳がある。また漢訳からの重訳として、チベット語訳、ソグド語訳、ウイグル語訳、西夏語訳、満州語訳が知られ、また、チベット語訳からの重訳としてモンゴル語訳が知られている。漢訳には一二本あったとされ、『無量寿経』の他、『阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』『無量清浄平等覚経』、『大宝積経』「無量寿如来会」、『大乗無量寿荘厳経』の計五本が現存しており、他七本は伝わっていない。このことを一般に五存七欠という。

[現代語訳]

梵語からの近代語訳は、マックス・ミュラーによるものを嚆矢こうしとする。また南条文雄荻原雲来、岩本裕、藤田宏達、平等通照らによる和訳がある。漢訳からの和訳としては、『現代語訳浄土三部経』(浄土宗総合研究所、二〇一一)などがある。チベット語訳からの和訳は、河口慧海、青木文教などが行っている。


【所収】聖典一、浄全一、正蔵一二


【参考】望月信亨『浄土教の起原及発達』(山喜房仏書林、一九七二)、坪井俊映『浄土三部経概説』(法蔵館、一九九六)、中村元他『浄土三部経』上(岩波文庫、一九九〇)、池本重臣『大無量寿経の教理史的研究』(永田文昌堂、一九五八)、藤田宏達『原始浄土思想の研究』(岩波書店、一九七〇)、同『浄土三部経の研究』(同、二〇〇七)、香川孝雄『無量寿経の諸本対照研究』(永田文昌堂、一九八四)、同『浄土教の成立史的研究』(山喜房仏書林、一九九三)


【参照項目】➡大経双巻経八相成道五存七欠


【執筆者:齊藤舜健】