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澄禅

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ちょうぜん/澄禅

承応元年(一六五二)—享保六年(一七二一)二月四日。精蓮社進誉。近江国日野の人。江戸中期の捨世派念仏聖。一四歳のとき自ら剃髪し、日野大聖寺在心の下で受戒。一八歳で増上寺に入り宗戒両脈相承するが、学問を求めず専ら坐禅称名に努めた。隠遁の心やみがたく、貞享五年(一六八八)ついに学林を逃れて霊山聖跡を巡錫す。相模国曽我の岩窟をはじめ、塔峰阿弥陀寺の遅岩洞、富士山での修行を経て、近江平子山、京都大原山に籠り苦修練行すること数十年。衣食住の禁欲に徹し、日課念仏十万遍、貴賤男女の帰依を集めた。


【資料】『澄禅和尚行状記』、『続日本高僧伝』一〇(仏全一〇四)


【参照項目】➡澄禅和尚行状記付遺事


【執筆者:長谷川匡俊】