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法相念仏

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ほっそうねんぶつ/法相念仏

法相宗念仏法相宗唯識教義弥勒菩薩から受けたと伝説され、法相諸師の伝記には阿弥陀信仰とともに弥勒信仰も多く見受けられる。法然は『浄土初学抄』に「此の宗の極楽の道を知らんと欲する者は法相宗懐感法師群疑論並びに慈恩大師の西方要決を学ぶべし」(昭法全八三七/浄全九・四四二下)と懐感と基を挙げ、また懐音諸家念仏集』二「法相念仏」(浄全一五・六二〇下~)では、前述の基、撲揚大師智周、新羅の義寂法位憬興きょうごう、日本の貞慶良遍の要文を出す(懐感は「蓮宗念仏」中にあり)。このうち懐感善導弟子とされる。良遍は『善導大意』で「感師は既に是れ和尚弟子なり。流を以て源を知る」(浄全一五・五八〇下)と導感二師の相承を重視するが、法然は『選択集』に「いわんや師資の釈その相違はなはだ多し。故にこれを用いず」(聖典三・一八六/昭法全三四八)という。唯識論書のもたらした五姓各別衆生観、また整合を重んじる修行論や身土論等が、凡入報土を否定する論拠となったことから、法然法相宗を「浄土を判ずること甚深なりといえども全く凡夫往生を許さざるなり」(『一期物語』昭法全四四〇/浄全九・四五八下)と評した。しかしながら法相宗には『成唯識論』二「若し定等の力の変ずる所の器と身とならば、界地自他において則ち決定せず」(正蔵三一・一一上)の説をもとに、阿弥陀仏願力をはじめとする仏の諸力を不可思議の存在と認め、「定力・願力唯識の判ぜざる所」とする立場がある。前出『諸家念仏集』では法相念仏を総括して、諸師の説は多岐にわたるが、いずれも良遍の『心要鈔』に出る、唯識観を前提とした、名号、仏身、功徳本願法身を念ずる五重念仏の所説を逸脱するものではないとし、また『心要鈔』の念仏弥勒仏についての論述であるが、一切仏に通じるという。


【参照項目】➡凡入報土諸家念仏集


【執筆者:小澤憲雄】