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「法然上人二十五霊場」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:32時点における最新版

ほうねんしょうにんにじゅうごれいじょう/法然上人二十五霊場

法然の遺跡とされる寺院や、御影を安置する寺院の中から二五ヶ所を選定し、一連の巡拝対象として構成された聖地(札所)群、または、それを模倣して各地に設けられた「うつし霊場」の総称。二十五霊場は『浪花寺社巡』(延享四年〔一七四七〕刊)に載せる大坂の寺町寺院を中心に法然御影を巡拝する「円光大師廿五所まわり」に始まるが、二十五霊場の本霊場として現在まで巡拝が続いているのは「円光大師御遺跡二十五箇所」である。明和三年(一七六六)刊の霊沢撰『円光大師御遺跡廿五箇所案内記』によれば、宝暦一二年(一七六二)に京都如来寺の元住職であった岸誉霊沢が、大坂・兵庫などの僧俗と「行脚発起助縁講頭蓮衆」を組織して、法然の遺跡寺院法然御影に値遇し、慈恩に報謝する目的で巡拝を始めた。霊沢は『大仏頂首楞厳経』に説く「二十五円通」の経説に基づき遺跡の数を二五の札所寺院に限ったが、札所や番付の選定には「行脚発起助縁講頭蓮衆」であった亀屋浄正・助松屋道喜を講頭とする「大坂講」の意向を汲み取り、女人禁制黒谷青龍寺のように番外としたところもあった。札所には西国巡礼歌に準じ、当時は法然自詠とされていた詠歌を当て詠歌額も奉納し、「大坂講」は札所標石・道標を建てた。当初の二五の札所は、①美作国誕生寺、②讃岐国法然寺、③播磨国高砂十輪寺、④摂津国尼崎如来院、⑤勝尾寺かちおでら二階堂、⑥四天王寺念仏堂、⑦同所一心寺、⑧紀伊国大川報恩講寺、⑨大和国当麻往生院奥院おくのいん)、⑩香久山法然寺、⑪奈良大龍松院(江戸末期から指図堂)、⑫伊勢国欣浄寺、⑬山城国清水瀧山寺、⑭小松谷正林寺、⑮伏見源空寺、⑯粟生野光明寺、⑰嵯峨二尊院、⑱愛宕月輪寺、⑲寺町法然寺、⑳寺町誓願寺、㉑大原勝林寺(院)、㉒百万遍知恩寺、㉓寺町清浄華院、㉔黒谷金戒光明寺、㉕知恩教院(知恩院)である。ただ、大正一二年(一九二三)には「新撰元祖大師二十五霊場」として、③十輪寺が室津浄運寺に、⑥四天王寺念仏堂が兵庫名号石に、⑧報恩講寺高野山円光大師廟に、⑪指図堂が大仏殿に、⑰二尊院嵯峨釈迦堂に、⑱月輪寺太秦西光寺に、⑲法然寺鹿ヶ谷法然院に、⑳誓願寺比叡山黒谷報恩蔵の札所にそれぞれ変更された。しかし、昭和九年(一九三四)には旧来の札所が復活し、新撰の札所と並存したが、同三四年旧来の札所に戻された。

また、二十五霊場には西国三十三所や四国八十八ヶ所と同様、本霊場を模倣して巡礼地の縮小化・巡礼の簡易化を図った「うつし霊場」がある。京都・大坂・江戸・名古屋などの都市や丹後・和泉・佐渡・肥前の国など、創設は江戸期から昭和期にわたり、各地に約三〇ヶ所の存在が確認できるが、巡拝が存続しているのは尾張・三河などの霊場にとどまる。こうした「うつし霊場」のうち、「甲賀組第一部法然上人二十五霊場」「法然上人伊賀二十五霊場」「法然上人伊賀新二十五霊場」「法然人天二十五霊場」「越中国法然上人二十五霊場」が、法然八〇〇年大遠忌記念として平成二四年(二〇一二)三月末日までに復興した。また、「うつし霊場」の一形態として寺院境内に設ける「ミニチュア霊場」は、西念寺(香川県仲多度郡)・西方寺(高松市)など、江戸期から現在まで少数ではあるが存在を確認できる。さらに、「本霊場」の土砂を勧請し、それを踏み巡拝する二十五霊場の「お砂踏み」も、時期は不明であるが知恩院で行われていた。


【資料】霊沢撰『円光大師御遺跡廿五箇所案内記』(『藤堂恭俊博士古稀記念 浄土宗典籍研究』資料篇、藤堂恭俊博士古稀記念会、一九八八)、『新撰元祖大師二十五霊場巡拝案内記』(総本山知恩院開宗記念伝道部、一九二三)、『元祖法然上人霊跡巡拝の栞』(知恩院遠忌局、一九五九)


【参考】『藤堂恭俊博士古稀記念 浄土宗典籍研究』研究篇「第三部『円光大師御遺跡廿五箇所案内記』」(同朋舎出版、一九八八)、山本博子「法然上人二十五霊場の改定について」(印仏研究三八—一、一九八九)、同「法然上人二十五霊場と大坂講」(印仏研究五四—二、二〇〇六)【図版】巻末付録


【参照項目】➡円光大師御遺跡廿五箇所案内記巡礼


【執筆者:山本博子】