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法性寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

ほっしょうじ/法性寺

現在の京都市東山区にあった藤原氏の氏寺。延長三年(九二五)藤原忠平によって建立された。寺名は忠平が師事した天台座法性房尊意による。久安三年(一一四七)藤原忠通は新堂を建立、応保二年(一一六二)には出家して境内に邸宅を建てて法性寺殿と称した。建仁二年(一二〇二)九条兼実は同寺で出家、承元元年(一二〇七)法然は讃岐配流の際、兼実の配慮により同寺の小御堂(西御堂)で一夜滞在している。延応元年(一二三九)藤原道家によって東福寺が建立されてからは次第に衰退していった。現在西山派に属する同名の寺が東福寺近辺にある。


【資料】『四十八巻伝』三三、『翼賛』三三、四九、五一(浄全一六)


【執筆者:曽田俊弘】