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東大寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

とうだいじ/東大寺

奈良市雑司町。華厳宗大本山本尊は盧舎那仏。起源は天平五年(七三三)に若草山麓に創建された金鐘寺こんしゅじとされ、この寺院国分寺建立の詔を受けて大和国国分寺と定められた際に金光明寺と改められた。「東大寺」の寺号は大仏の鋳造が始まった天平一九年頃から用いられるようになったといわれる。本尊の盧舎那仏は、聖武天皇の発願により造立、天平勝宝四年(七五二)に盛大な大仏開眼供養が行われた。鑑真来朝にあたっては戒壇院が造営され、全国三戒壇のひとつとして隆盛を誇った。治承四年(一一八〇)、平重衡の南都焼打ちにあって、大仏や堂塔が烏有に帰するも、すぐに重源勧進となって復興し、建久六年(一一九五)には落慶供養に至る。永禄一〇年(一五六七)には三好三人衆・松永久秀の乱によって、再び大仏と堂塔が焼け落ちた。江戸時代に入ってから、公慶の尽力によって元禄五年(一六九二)に大仏開眼供養、宝永六年(一七〇九)に財政難から規模を縮小した大仏殿の落慶供養が行われた。近代に入ってからは廃仏毀釈の被害に加えて寺領が消滅し、境内敷地は縮小したが、大正四年(一九一五)に大仏殿修理の落慶供養会、昭和五五年(一九八〇)には大仏殿瓦葺替の落慶法要が行われた。平成一〇年(一九九八)に、世界文化遺産登録。


【執筆者:西村玲】