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本願寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ほんがんじ/本願寺

京都府京丹後市久美浜町。霊鴫山(鴫山・信貴山)。京都教区№五五五。円光大師御遺跡四十八所の札所。法然後白河法皇追善法事を修したと伝えられる遺跡。寺伝によると、天平二年(七三〇)行基の開創、源信を中興開山。建久三年(一一九二)領主伊賀守某の招きを受け、法然は当寺に一夏九旬の間留まり、後白河法皇追善法事を修したという。当寺所蔵の正安元年(一二九九)一〇月日付「丹後本願寺僧等注進状案」は、後白河法皇五七日追善のために造立され、法然が四八度供養した本尊について、長日不断の称名・二季如法念仏などを懈怠なく勤めることを注進したものであり、当寺が一四世紀頃には法然の遺跡とされていたことが分かる。法然上人二十五霊場巡拝を発願した霊沢は当寺を第二〇番札所に予定していた。大坂講衆の意向により番外となったが、本堂祖師堂には岸誉(霊沢の誉号)の文字を刻む第二〇番の詠歌額、門前には第二〇番の文字を刻む札所標石が現存する。本堂は国重要文化財。


【資料】『蓮門精舎旧詞』二九(続浄一九)、『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)、『鎌倉遺文』二〇二八一号文書(『鎌倉遺文』古文書編二七、東京堂出版、一九八四)、霊沢『円光大師御遺跡廿五箇所案内記』、名村愚仙『円光大師御遺跡四十八所口称一行巡拝記』


【参考】『久美浜町誌』(熊野郡久美浜町役場、一九五六)、浄宗会編『円光大師法然上人御霊跡巡拝の栞』(知恩院、一九九六)


【執筆者:山本博子】


浄土真宗本願寺派真宗大谷派本山。各々西本願寺東本願寺と通称される。本願寺蓮如の拠点寺院。慶長七年(一六〇二)に東本願寺が創立されるまでは、一寺の名称であった。


【参照項目】➡西本願寺東本願寺


【執筆者:編集部】