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「方便」の版間の差分

提供: 新纂浄土宗大辞典

 
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2018年3月30日 (金) 06:32時点における最新版

ほうべん/方便

方法・手段・手だてのこと。原語はⓈⓅupāyaであり、原意は「近づくこと・到達すること」であるが、一般には「巧みな手だて(善巧方便ぜんぎょうほうべん)」を意味するⓈupāyakauśalyaⓅupāyakusalaの略として使われ、巧みな手だてを駆使して、仏や菩薩有情悟りへと導くことを言う。また「噓も方便」という表現からも分かるように「真実の教えに導くために仮に設けた教え」、「有情悟りに導くための一時的な手だてとして説かれた教え」という意味も持ち、その端緒は『法華経方便品に見出せる。ここでは「声聞縁覚菩薩の三乗が一仏乗のための方便である」(正蔵九・七中)ことを説き、次の譬喩品ではそれを長者火宅の喩をもって具体的に説明する。方便品では長者が火事とは知らずに屋内で遊ぶ三〇人の息子を救出するために、彼らの大好きな羊車・鹿車・牛車を見せて、これをやるからと言って火宅から脱出させ、安全な場所に移動してから、彼らに羊車・鹿車・牛車(三乗)ではなく、さらに素晴らしい大白牛車(一仏乗)を与えたという喩え話が見られる。約束通り羊車・鹿車・牛車を息子等に与えなかったという点で長者は噓をついていることになるが、しかし、そうしなければ息子達を救出できなかったであろう。これが「善巧方便」、すなわち「巧みな手だて」と呼ばれる所以である。このように「噓が方便」であり得るのは、その行使が「悟りに導く」という目的に資する場合だけであり、単なる言い逃れやその場しのぎで噓をつくのは方便とは見なされない。仏教の二本柱として智慧慈悲とがあり、慈悲智慧を根拠とするが、このように方便とは慈悲の働きの一つであると言えよう。したがって、方便利他行を強調する大乗仏教以降、重要な意味を持つようになり、大乗仏教の論書等では様々に分類・分析されるようになった。『無量寿経』にも「善く方便を立てて三乗を顕示し、この中下において、滅度を現ず」(聖典一・二一六/浄全一・二~三)とあり、菩薩方便として入滅の相をとるだけであることを説いている。


【執筆者:平岡聡】