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摂門

提供: 新纂浄土宗大辞典

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せつもん/摂門

天明二年(一七八二)—天保一〇年(一八三九)八月六日。讃蓮社常誉察阿。いみなの別称は察龍。俗名は竹尾次春・善筑。あざなは子龍。おくりなは遠塵院。江戸時代後期増上寺学寮にあって、各檀林志をはじめ歴史紀伝の編纂に大きな業績を残した。武蔵国品川に山県次郎兵衛好春の長男として生まれる。一三歳、伊勢国来迎寺において、江戸麴町心法寺の摂心について出家し察龍と称した。一七歳のとき江戸に出て師のもとに留錫し、文化八年(一八一一)縁山中谷在心室の寮主となり、同一二年増上寺五六世教誉典海より摂門の名を授与されて改名。この間、文化四年(一八〇七)には嵯峨清凉寺掛錫かしゃくして、芝山大納言に和歌を学んだ。和漢内外の典籍をあますところなく考究した人であったが、もっとも得意とした分野は歴史系譜方面であった。文政二年(一八一九)五月に『三縁山志』一二巻、翌年七月に『続三縁山志』一〇巻を撰したのをはじめ、『新撰浄土源流譜』一〇巻、『進学日礼』三巻など、檀林志・史伝などを中心とした述作は九七部二一九巻にのぼる。同四年には還俗し、幕府の侍読を務め湯島に住んで読書に励んだ。国学者の塙保己一・屋代弘賢らと交友があった。


【資料】『摂門上人伝』(浄全二〇)、『三縁山志』序(浄全一九)


【参照項目】➡摂門上人伝


【執筆者:大屋正順】