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押領使

提供: 新纂浄土宗大辞典

おうりょうし/押領使

令外りょうげの官の一つ。はじめは防人さきもり・兵士などを管理統率する役で、九世紀末から一〇世紀初めの東国の乱、平将門の乱に臨時の職として置かれたが、一〇世紀中頃以降、国内の反乱の鎮圧・凶賊の追討のための常置の職となる。国司が兼務することが多かったが、郡司などの在地勢力を任命することもあった。法然の父漆間時国うるまのときくにを『私日記』では「美作みまさか国庁官」(法伝全七六九上)とし、『四巻伝』一などでは美作国久米郡の押領使とする。また、『四十八巻伝』一や『九巻伝』一では時国から五代前の元国を久米郡の押領使と伝え、天承元年(一一三一)の「美作国留守所下文」(『仁和寺文書』)には「散位漆—」の名があることから、国庁の官人に漆(間)某がいたこと、さらに、津山市二宮高野神社の随身像の応保二年(一一六二)の胎内銘に「大勧進漆間尋清」の名が記されていることなどから、漆(間)氏が一〇世紀以降に美作国久米郡を中心に勢力をもっていた在地豪族であったことは確かである。


【参考】井上満郎「押領使の研究」(『日本史研究』一〇一、一九六八)、伊藤唯眞「吉備の古代氏姓」(『浄土宗史の研究』伊藤唯眞著作集四、法蔵館、一九九六)、大橋俊雄『法然』(講談社学術文庫一三二六、一九九八)


【参照項目】➡漆間時国


【執筆者:山本博子】