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往生要集 - 版の履歴
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Seishimaru
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2018年3月30日 (金) 06:21に192.168.11.48による
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<p><b>新規ページ</b></p><div>=おうじょうようしゅう/往生要集=<br />
三巻。『[[往生集]]』ともいう。[[源信]]撰。寛和元年(九八五)四月成立。[[比叡山]]<ruby>[[横川]]首楞厳院<rt>よかわしゅりょうごんいん</rt></ruby>に[[隠遁]]していた[[源信]]が、百六十余部の[[仏教]]経典、論疏から九五二文に及ぶ要文を集め、[[極楽浄土]]に[[往生]]するためには、[[念仏]]の実践が最も重要であることを示した書で、これにより[[浄土教]]の基礎が確立された。平安時代を代表する[[仏教]]書。[[永観]]二年(九八四)一一月から書き始め、わずか半年で書き終えたとされる。<br />
==[構成]==<br />
①厭離[[穢土]]②欣求[[浄土]]③[[極楽]]証拠④正修[[念仏]]⑤[[助念方法]]⑥[[別時念仏]]⑦[[念仏利益]]⑧[[念仏]]証拠⑨[[往生]][[諸行]]⑩[[問答]][[料簡]]の一〇門(大文)から成る。その序文には、「それ[[往生]][[極楽]]の教行は、[[濁世]]末代の目足なり。道俗貴賤、誰か帰せざる者あらん。ただし顕密の教法は、その文、一にあらず。[[事理]]の業因、その行これ多し。利智[[精進]]の人は、いまだ難しと為さざらんも、予が如き頑魯の者、あに敢てせんや」([http://jodoshuzensho.jp/jozensearch_post/search/detail.php?lineno=J15_0037 浄全一五・三七上])とし、このために経論の要文を集めるのだとする撰述の目的が示されている。また、その冒頭には、壮絶なまでの[[地獄]]の様相が綴られ、その直後に、それとは対照的に仏の救いの尊さや恵みの有難さを思い知る[[浄土]]の[[十楽]]を説くことで、[[浄土]]への救いを求めさせるべく極めて効果的に「<ruby>厭離[[穢土]]<rt>えんりえど</rt></ruby>」「<ruby>欣求[[浄土]]<rt>ごんぐじょうど</rt></ruby>」の二門が配置されている。<br />
==[思想の特徴]==<br />
大文第四、五、六門には、[[浄土]]に[[往生]]するための[[念仏]]の正しい在り方が、[[世親]]の[[五念門]]を引用して説かれているが、その中心は、[[観察]]に置かれている。そして、その基礎として要求されている条件は作願である。[[源信]]が説く[[念仏]]の中心をなす、この[[観察]]門では、「[[別相]]観」「[[総相]]観」「雑略観」に分け展開している。まず「[[別相]]観」では、仏が坐っている[[華座]]からはじまって、仏の[[相好]]に移り、仏の[[肉髻]]から、足の裏に及ぶ四十二相を観想する手順が説かれている。そして「[[総相]]観」には、一切の[[功徳]]を収めつくした[[阿弥陀仏]]とわたくしが全く一つに融合することによって、初めて観想が完成するという、いわゆる[[三身即一]]の仏を観想する、「理」の観想が説かれている。しかしながら、このような観想は極めて高度な能力や資質と、<ruby>弛<rt>たゆ</rt></ruby>まぬ[[精進]]努力を必要とすることから、より簡単な観想方法として、仏の<ruby>[[白毫]]<rt>びゃくごう</rt></ruby>と[[光明]]に絞った「雑略観」が説かれている。そして、それさえ能力に余る愚かな者の観想として、<ruby>[[帰命]]<rt>きみょう</rt></ruby>・<ruby>引摂<rt>いんじょう</rt></ruby>・[[往生]]の想を想い[[称念]]する、もはや観想とは言い難い[[念仏]]が提示されている。ここに、一定の恵まれた条件が備わっていなければ勤めることができなかった[[観想念仏]]を離れ、[[一心]][[称念]]を観想の中に組み込むことで、一般庶民をも仏の[[救済]]に適う対象として含めた点は大きな特徴である。また、この[[念仏]]は[[諸行]]と比較して易行であり、しかも[[功徳]]の勝れた行とし、[[念仏]]に易行性と[[勝行]]性を見出したことは[[浄土教]]思想史上意義がある。さらには大文第六において、[[念仏]]を平生と臨終に分け、その臨終では、音楽性や[[法要]][[儀礼]]的な要素を払拭し、今まさに[[往生]]の可否がここに懸かっているという、ぎりぎりの瞬間に直面した際の[[念仏]]が説かれ、その後<ruby>[[迎講]]<rt>むかえこう</rt></ruby>なる[[臨終来迎]]を擬した[[法会]]が説かれている点も注目される。また、[[念仏]]を最勝の行とはするものの、他の[[諸行]]を否定せず、[[念仏]]と[[諸行]]を並行して実践するという立場も明示している。<br />
==[本書の影響]==<br />
本書の[[念仏]]理論を実践しようとして、寛和二年(九八六)五月に[[横川]]の僧二五名を根本[[結衆]]として[[念仏]]結社[[二十五三昧会]]が発足した。さらには本書で展開された[[浄土教]]思想は、後の[[永観]]・[[法然]]・[[親鸞]]などの思想形成に大きな影響を与えた。[[法然]]はこの書を披覧してその教えに傾倒し、四部の注釈書を著すなかで[[善導]]の思想に出会い深く感銘し、偏に[[善導]]の教えを拠り所とする[[偏依善導]]の確信を得た書として位置付けている。さらには、本書は僧俗に広く読まれ、その影響は[[仏教]]界に留まらず、『栄花物語』『枕草子』『中右記』など平安文学にも及ぶ。なかでも『源氏物語』には[[源信]]をモデルとした[[僧侶]]の登場する場面も見られる。さらに美術の分野でも[[聖衆来迎図]]や[[来迎]]相の[[仏像]]および[[地獄]][[変相]]図や[[六道]]図なども本書の影響下において生じたものであり、日本人の心に[[地獄]]・[[極楽]]の[[観念]]が定着したのは『[[往生要集]]』によるといえる。<br />
==[<ruby>留和<rt>りゅうわ</rt></ruby>本・<ruby>遣宋<rt>けんそう</rt></ruby>本]==<br />
『[[往生要集]]』には、寛和元年に[[源信]]が初めて書き上げた初稿本と、後に再校正し宋に送った再治本が存在し、これらを留和本と遣宋本と称している。永延二年(九八八)[[源信]]は来航していた宋の商人朱仁聡と同船の僧斉隠に博多で会い、『[[往生要集]]』を託したとされる。この遣宋本、承安元年(一一七一)の古写完本が京都市[[青蓮院]][[吉水]]蔵に現存している。<br />
==[写本と刊本]==<br />
本書の最古の写本は[[源信]]在世中の長徳二年(九九六)の写本が中巻のみ、小松市[[聖徳寺]]上宮文庫に現存する。また、刊本の種類は多く、『浄全』所収本は天保本を基本に寛永・元禄本の丁数を記入し、本文と訓点とに多少の修正を加えながら寛永・元禄本の旧体にかえしたものである。<br />
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【所収】浄全一五、正蔵八四、『恵心僧都全集』一、『日本思想大系六・源信』<br />
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【資料】『往生要集略料簡』、『往生要集料簡』、『往生要集釈』、『往生要集詮要』、『往生要集義記』、花山信勝『原本校註漢和対照「往生要集」』(山喜房仏書林、一九七六)<br />
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【参考】福原蓮月『往生要集の研究』(永田文昌堂、一九八五)、往生要集研究会編『往生要集研究』(同、一九八七)<br />
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【執筆者:和田典善】</div>
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