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平等院

提供: 新纂浄土宗大辞典

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びょうどういん/平等院

京都府宇治市宇治蓮華朝日山。単立。世界遺産。日本で最も国宝の集積した空間である。和様の完成表現でもあり現在まで続く唯一の遺構。永承七年(一〇五二)末法初年、藤原頼通によって開創され、翌天喜元年に阿字池を中心に洲浜庭園を造園し、阿弥陀仏を安置する東面の阿弥陀堂(鳳凰堂)が建立される。宇治は、平安京のたつみ(南南東)の方角に位置し京都と奈良を結ぶ交通の要衝として知られ、古来別業なりどころであると同時に『延喜式』等にみられる藤原北家の墓所でもあった。清和天皇貞観年間(八五九—八七七)嵯峨天皇の皇子左大臣源融みなもとのとおるが、宇治川の左岸に営んだ別業に由来し、源融の孫左大臣源重信所有だったものを重信没後、長徳四年(九九八)一〇月、藤原道長が重信の未亡人から買い取り「宇治殿」と呼称され、道長没後その息頼通が宇治殿を伝領、永承七年三月これを平等院として仏寺に改めた。第一代執印は園城寺円満門跡明尊。『扶桑略記』には「極楽不審久者宇治乃御寺乎礼へ」との記述がある。近年の研究では、浄土思想と借景概念の関係や、青色を象徴的に使用した鳳凰堂内部に純金箔の赤みを帯びた仏像が均一で穏やかな光を発していたこと、浄土の瑠璃色の嚆矢とされる最古の青色カリガラスによる透明感と濃密で階調を帯びた堂内彩色、螺鈿らでんを用いた反射光沢が呈される重層的な荘厳であり、現存する最古の大和絵風来迎図のうち日想観図は、海に沈む日輪を染料と金箔だけで描き出すものであることなどがわかった。院内の南泉坊で源隆国が撰した『安養集』には『観経疏』の引用があり、延久五年(一〇七三)初めての一切経会が宇治宝蔵(経蔵)で開苑されてのち法然散善義を見たとする説があり、また『華頂要略』では平等院の「三坊」のうち知恩坊を法然知恩講を修するため隆寛慈円からもらい受け、東山大谷中ノ坊へ移したとされる。【図版】巻末付録


【執筆者:神居文彰】