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寺町

提供: 新纂浄土宗大辞典

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てらまち/寺町

近世大名による城下町集住政策によって生まれた、寺院が多く集まる町。豊臣秀吉は兵農分離・商農分離政策を推進し、農村には百姓身分だけが住み、その他の武士・商人は城下町に集住させられた。さらに都市内でも身分による集住が図られ、武士・商人・僧侶の住む場所は明確に区分された。この政策は秀吉に服属した全国の大名にも採用され、各地の城下町に寺町が形成された。この政策のモデルとなった京都では、豊臣秀吉が天正一九年(一五九一)に城下町化に着手した。京都を取り囲む御土居おどいを築造して洛中と洛外を明確に区分し、その上で、市中で広大な敷地を有していた寺院を強制的に鴨川西岸の御土居に沿って移転させ、空いた土地に道路を通し、市街地の再開発をおこなった。こうして成立した京極寺町には南北五キロ以上にもわたって九六箇寺が存在し、その中でも浄土宗寺院(西山含む)が六〇箇寺と圧倒的な数を占めていた。近年繁華街の地価高騰で移転した寺院もみられるが、それでも多くの寺院寺町通り沿いに並んでいる。


【執筆者:伊藤真昭】